知事選で自民党会派が分裂
神戸市出身の斎藤知事は中学・高校は愛媛県の私立の中高一貫校に進学、卒業後に東大経済学部に進学、そして2002年4月に総務省に入省した。
本省でキャリアとしての経験を積むのと交互するように、日本各地の県や市町村に出向、18年4月からは大阪府の財政部財政課長を務めていた。当時の大阪府知事は松井一郎氏、そして19年4月からは現在の吉村洋文氏が務めている。つまり斎藤知事は大阪府の財政課長時代、二代続けて大阪維新の会の知事に仕えていた。
片や、隣の兵庫県は旧自治省(現総務省)の官僚出身の井戸敏三氏が5期連続で知事を務めていた。井戸知事は大阪維新の会による大阪都構想やカジノ構想にことごとく反対し、松井氏や吉村氏が知事を務める大阪府と対立する場面が多かった。そこに新型コロナウイルス感染症が襲ってきた。コロナ対策に関し、さまざまな発信をし手を打とうとする大阪の吉村知事に対し、兵庫の井戸知事の動きはそれほど目立つものではなかった。
そこに重なるように、井戸知事の任期切れが迫っていた。5期20年と在任期間が長期にわたっていたため、2021年7月の次回知事選には出馬しない方針を決めていた。後任知事の本命は、副知事の金沢和夫氏だった。というのも、兵庫県では長らく、副知事として知事を支えた中央官庁出身者が次の知事になるという構図が60年ちかくも続いていた。自民党もそれを支える側だった。当時の金沢副知事も旧自治省出身で、井戸知事の後継者の最有力と見られていた。
だがそこに別の動きが起こる。
大阪で党勢を拡大する維新による“兵庫侵食”を懸念する自民党県議の一部から、金沢氏以外の候補を探る動きが出始める。維新執行部も兵庫県知事選に独自候補を擁立すると公言していた。
そんなときに、自民党県議の一部が目をつけたのが、総務省から大阪府に出向中の斎藤氏だった。松井・吉村両氏に仕えた斎藤氏を擁立すれば、維新が乗ってくる可能性は十分あった。といっても自民党会派はすでに副知事の金沢和夫氏を推薦する予定を固めている。このままでは会派が分裂する。
結局、斎藤氏を推す自民党の県議は、自民党会派を離脱し、「自民党兵庫」として斎藤氏を担ぐことを決めた。するとすかさず維新が斎藤氏への推薦を決定。この速い動きに逆に慌てたのが自民党だった。斎藤氏を維新に取り込まれてしまったら厄介なことになるからだ。紛糾したが、党本部も斎藤氏を推薦することを決定。ただ足元の兵庫県連は事実上、斎藤派と金沢派に分裂したまま選挙戦に突入するという異常事態になった。斎藤氏の応援には、地元選出の自民党国会議員・西村康稔経済再生担当相らのほか、維新からも松井氏や吉村氏が駆け付けた。
その結果、85万票を獲得した斎藤氏が当選を果たしたのだった。