「限界集落」という言葉が一般的なって久しい。超高齢化と人口減少の時代に突入している日本にとって、僻地の集落が衰退し、消えていくのは、もはや避けられないことだ。
もっとも、消えゆくコミュニティであっても、そこで暮らす人々の営みがあり、長年、堆積した時間の“地層”がある。それは、徳島県の太平洋側に浮かぶ出羽島(てばじま)も同じだ。4回目の今回は、建築家・隈研吾氏が語る建築の多様性について。
江戸時代後期から形成された出羽島の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)にも選ばれている。こういった建築文化には、どのような意味があるのだろうか。世界的な建築家、隈研吾氏が語った。
【出羽島の記憶を遺すため写真集プロジェクトを進めています。ご関心のある方は「消えつつある離島の記憶を遺したい!写真集制作プロジェクト(Readyfor)」をご覧ください】
「細い材」が生み出した木造建築の独特の美学
(隈研吾:建築家)
日本の伝統建築を語るうえで基本となるのは「循環」です。
里山の森の木を素材として用い、苗を植え、数十年後に再び材として活用する。その時に、木を切りすぎるとはげ山になってしまうため、間伐で得た細い材をうまく活用し、襖や障子などもうまく使いながら、構造的に強いもの、一定の耐震性能を満たした柔構造の建築物を建てた。これが、日本の伝統建築における循環です。
その結果、木造建築の技術は世界でも類を見ないレベルに発達しました。
日本人が活用した細い材は、「透明かつ軽やか」という日本の木造建築に見られる独特の美学を生み出すことにもつながりました。これは「木を大事に使う」という日本の環境思想とも一体になっています。今で言うSDGsですね。
木造建築の美学を追究することがSDGsにつながる──。そんな美しい循環をつくり上げたことは特筆に値します。
古代ギリシャは石造りの建築物で知られていますが、その前は木造でした。ところが、木を切りすぎたために森が消え、石を使わざるを得なくなった。木造文化は世界各地にありましたが、どこでも同じことが起きています。
それに対して、日本は自然と建築が対立するのではなく、自然の循環の中に建築が存在している。ここが、日本の伝統建築のおもしろいところだと思います。