土方剛を通して描きたかったもの

カツセ:彼は自分が若かった頃の価値観で、いまの時代まで生きてきたシーラカンスのような存在だと思います。シーラカンスが外界を知らないように、土方自身もいまの時代の空気に気づくことができずにここまできてしまった。そして、時代の価値観の変化の摩擦の中で、彼はいま苦しんでいる。だから、彼だけがただ悪者なのだという描き方はしたくありませんでした。

 一番描きたかったのは、そうした古い価値観のまま変わらずに生きてきた人間が、それでもきちんと情報や人と接することによってアップデートされていく。まだまだ変わっていける。そのことを希望として描きたかったのです。

 政治家の失言などを例にとっても、あまりにも世間が「あの人はああいう人で変わらない」と決めつけて、断罪する方向で話が進むことが多すぎる。僕はまだ諦めたくない。自分自身が老いた時も同じですけれど、いくつになっても人は変わっていけるという前提で、土方というキャラクターを立てました。

──物語の中に出てくる登場人物たちの性格の分け方が、それぞれある種の使命を帯びているように見えつつ、それぞれに危うさや矛盾のようなものがあり、互いにそのことに気づきながら突っつき合う。こうした性格設定は、ご自身の中にあるものを分割して形づくっていったのですか?

カツセ:自分自身の中にある揺らぎで書いていったという感じです。ある日は道に落ちている財布を拾って警察に届け、お年寄りの方を助け、募金をして、という暮らしもしていますが、一方では、満員電車で「この人早くどかないかな」なんて思わず考えていたりする。

 自分の中に生まれている狡さとか、せこさとか、醜さのようなものも自覚しているし、すべてが善だけ、あるいは、悪だけの人も存在しません。こう考えると、人のキャラクターというものは、どのタイミングでどの角度からスポットライトが当たっているか、というだけの問題なのだと思います。

 ただ、今回の作品は、男性の持っている加害性をテーマにしているので、「女性を主人公にしては書けない」と最初から考えていました。そもそも僕自身が、シスジェンダー(生まれ持った性別が自分の認識する性別と一致している)で、ヘテロセクシャル(異性愛者)で、男で、都内出身であり、こうした状況を見ると、僕にはマイノリティ性はありません。

 そのような人間が、こういうテーマで書くのであれば、自分自身を刺しに行く、自分自身の加害性を振り返っていく話の方がいいと思いました。僕が書けるのはこれしかなかった。

──どの登場人物の話をどの順序で書くかによっても、あの物語は大きく展開が変わるのではないでしょうか。あれだけ視点を明確に分けると、かなり打順を計算しないわけにはいかないですよね?