宝塚歌劇団の俳優が急死した問題でパワハラを認め、記者会見で謝罪した宝塚歌劇団の村上浩爾理事長など。社会の価値観が変わっていることを示す一つの事例(写真:共同通信社)宝塚歌劇団の俳優が急死した問題でパワハラを認め、記者会見で謝罪した宝塚歌劇団の村上浩爾理事長など。社会の価値観が変わっていることを示す一つの事例(写真:共同通信社)

 パワハラ、セクハラ、不適切発言に関する報道は枚挙にいとまがないが、ふと騒動の当事者(加害者)に自分がなっていてもおかしくないなと感じることはないだろうか。Yahoo!ニュースのコメント欄に並ぶ加害者への批判の声を読んで、どこか自分が責められているようで、悶々とすることはないだろうか。

 誰もが加害者になりかねないこの時代の持つ緊張感を、私たちはどう受け止めればいいのか。『ブルーマリッジ』(新潮社)を上梓した小説家のカツセマサヒコ氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

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*このインタビューには小説の内容にかかわる描写が出てきます。まだお読みでない方はお気をつけください。

──この物語では、結婚や離婚、職場やハラスメントが倫理の観点から繰り返し問い直されます。いつからどのようにして、この物語を書こうとお考えになったのですか?

カツセマサヒコ氏(以下、カツセ):明確なキッカケはありませんが、6、7年前頃から、フェミニズムに関する本などを読むようになり、そうした知識や文化が自分の中にインストールされてきました。

 知識が増えれば増えるほど、自分の過去の言動や書いてきたことに関して、「あの発言は誰かを傷つけていなかったっけ」と疑問に感じたり、実際に誰かの顔が浮かんだりすることがあり、疑問や悩みがだんだん自分の中で大きくなっていく感覚がありました。

 これからも表現活動を続けていく中で、同じように誰かを傷つける可能性もあると考えた時に、一度自分の中の加害性、あるいは、男性として生まれ育ったことによる加害性と向き合うことを書きたいと思ったのです。

──フェミニズム、LGBTQ、ポリティカル・コレクトネスなどの文脈から、正義の感覚がだんだん変化していることに、表現者として恐怖を覚えることはありますか?

カツセ:どの時代も絶対的な正義はなくて、ただ世論が動いているだけなのだと思います。昭和の時代に称賛されたり非難されたりしたことが、平成を挟んで令和になり、その対象が変わったかのような空気があるだけで、通年で絶対的な善悪があるわけではないと思います。

 移ろいでいく正義自体にはあまり関心はありませんが、その時代の空気の中で、加害を起こしてしまう人や被害に遭う人がいる。傷ついた人がいるという事実には注目しなければならないと思います。

──この物語には「ホワイトボックス」という仕組みが登場します。物語を展開する仕掛けとして、このホワイトボックスが非常に効いていると感じました。どこか恐るべき印象を秘めたホワイトボックスとは何か、改めて教えてください。