トランプ氏が当選した場合の円高リスク

 ちなみに、冒頭で紹介した高官コメントを通じて問題がないことは確認されているものの、「Japan」の項の締めの部分には「Treasury’s expectation is that in large, freely traded exchange markets, intervention should be reserved only for very exceptional circumstances with appropriate prior consultations(米財務省は、自由に取引される大規模な為替市場では、介入は適切な事前協議のもと、極めて例外的な状況に限って行われるべきだと考える)」と為替介入へのけん制とも取れる文言がある。

 これは、今年5月のG7におけるイエレン米財務長官の「各国が介入することは可能だ。より根本的な政策変更を伴わない限り、必ずしも機能するとは限らないが、介入を行うのであればごくまれであるべきで、貿易相手国に伝達すべきだと考える」といった発言と整合的である。

 当時は同発言が日本へのけん制と解釈され円安が進む時間帯もあった。確かに、不当な通貨安誘導ではない以上、為替政策報告書の趣旨に照らせば問題にならないかもしれないが、イエレン財務長官が前置きするように「為替市場は自由に取引できる市場であるため、介入は控えるべき」というロジックに沿えば、いずれの方向であれ介入は容認されそうにないと為替市場が解釈する可能性はあるし、実際に今回はそうなったようにも見える。

 今後の円相場にとってのリスクはイエレン財務長官が同様の発言を繰り返すことはもとより、仮にトランプ氏が当選した場合の展開である。

 上述してきたような日本の「監視リスト」入りの背景をトランプ氏が正しくする理解することはまずないであろうから、誤解に基づいた日本への批判が重ねられる展開は危惧される。そもそも為替市場についてトランプ氏の定見は怪しいものがあるため、日本の為替介入についても無理解に基づいたけん制を発する可能性はある。

 事実として日本の対米黒字が大きいことを捉えて、強い言葉で批判を展開する可能性は相応に高く、その流れで円高への誘導を促すような発言などは想定される。

 例えば、日銀の利上げを催促するような発言はいかにも予見されるところだ。無理な利上げがかえって投機的な円売りを焚きつけてしまうことは周知の通りだが、ないとは言えない展開である。

 今回の為替政策報告書自体を過度に不安視する必要は全くないが、米政府高官の発言とつなげて曲解され、相場材料に使われる動きは今後警戒したいところである。

※寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です。また、2024年6月24日時点の分析です

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唐鎌大輔(からかま・だいすけ)
みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト
2004年慶応義塾大学卒業後、日本貿易振興機構(JETRO)入構。日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向し、「EU経済見通し」の作成やユーロ導入10周年記念論文の執筆などに携わった。2008年10月から、みずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)で為替市場を中心とする経済・金融分析を担当。著書に『欧州リスク―日本化・円化・日銀化』(2014年、東洋経済新報社)、『ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで』(2017年、東洋経済新報社)、『「強い円」はどこへ行ったのか』(2022年、日経BP 日本経済新聞出版)。