昔のほうがよかったな、それに比べて現在はつまらなくなったな、と常々思っていたのは音楽(といっても歌謡)の違いである。とってつけたような歌詞と曲調は乖離し、メロディは「おから」のようにもさもさしている。だが、それがいいらしいのだ。
わたしにはまったく理解できない。今は今の価値があるのだろうが、それがわたしの価値観とは合わ
現在では、もう筒美京平のような巨人は出てこない。阿久悠みたいな作詞家も出てこない。プロフェッショナルがいなくなったのだ。
来生たかお「シルエットロマンス」、前川清「大阪」、織田哲郎「いつまでも変わらぬ愛を」、村下孝蔵「踊り子」、湯原昌幸「雨のバラード」、平浩二「バスストップ」、浜田省吾「家路」、中森明菜「難破船」、竹内まりや「駅」、徳永英明「最後の言い訳」に匹敵するような名品は、もう出ない。
昔は紅白歌合戦が大晦日の一大イベントだった。いまではもはやその影もない。やたら男女のグループが次々と生まれるが、ビートルズやビーチボーイズのような世界的なグループやヒット曲は生まれない。
若手選手に魅力がない
一言、もう時代が違うのだ、といえば、観察としては怠惰ではあるが、それが正解かもしれない。媒体がテレビや映画だけではなく、SNSや音楽配信や動画配信の時代になってきたのだ。そしてわたしは一部を除き、そっち方面にはとんと興味がわかないのである。
テニスのフェデラーが引退したときにも一時代の終焉を感じた。
フェデラー一人のことだけかと思っていたら、雪崩を打つようにトップ選手たちが衰退したのである。ケガや年齢があるのだろうが、ナダルが急に調子を落とし、引退がささやかれている。ジョコビッチも時間の問題のようだ。
BIG3の凋落とともに、ゴフィン、ワウリンカ、ガスケ、モンフィスらの中堅選手たちが一斉にランキングを落としている。イズナーは引退。錦織は先行きが見えない。
ところがBIG3に代わって台頭してきた若手選手たちが、まるで魅力がないのだ。シナー、アルカラス、ズベレフ、チチパス、メドベージェフなどである。