昔のほうがよかったな、それに比べて現在はつまらなくなったな、と常々思っていたのは音楽(といっても歌謡)の違いである。とってつけたような歌詞と曲調は乖離し、メロディは「おから」のようにもさもさしている。だが、それがいいらしいのだ。

 わたしにはまったく理解できない。今は今の価値があるのだろうが、それがわたしの価値観とは合わない。ふつうの歌はメロディがあるのかないのかわからず、アクティブな歌は雑音にしか聞こえないのだ。

 現在では、もう筒美京平のような巨人は出てこない。阿久悠みたいな作詞家も出てこない。プロフェッショナルがいなくなったのだ。

 来生たかお「シルエットロマンス」、前川清「大阪」、織田哲郎「いつまでも変わらぬ愛を」、村下孝蔵「踊り子」、湯原昌幸「雨のバラード」、平浩二「バスストップ」、浜田省吾「家路」、中森明菜「難破船」、竹内まりや「駅」、徳永英明「最後の言い訳」に匹敵するような名品は、もう出ない。

 昔は紅白歌合戦が大晦日の一大イベントだった。いまではもはやその影もない。やたら男女のグループが次々と生まれるが、ビートルズやビーチボーイズのような世界的なグループやヒット曲は生まれない。

若手選手に魅力がない

 一言、もう時代が違うのだ、といえば、観察としては怠惰ではあるが、それが正解かもしれない。媒体がテレビや映画だけではなく、SNSや音楽配信や動画配信の時代になってきたのだ。そしてわたしは一部を除き、そっち方面にはとんと興味がわかないのである。

 テニスのフェデラーが引退したときにも一時代の終焉を感じた。

引退を表明したフェデラーの最後の試合でのBIG3。ロジャー・フェデラー(右)、ラファエル・ナダル(左)、ノバク・ジョコビッチ(2列目)。(2022年9月24日、写真:新華社/共同通信イメージズ)引退を表明したフェデラーの最後の試合でのBIG3。ロジャー・フェデラー(右)、ラファエル・ナダル(左)、ノバク・ジョコビッチ(2列目)。(2022年9月24日、写真:新華社/共同通信イメージズ)

 フェデラー一人のことだけかと思っていたら、雪崩を打つようにトップ選手たちが衰退したのである。ケガや年齢があるのだろうが、ナダルが急に調子を落とし、引退がささやかれている。ジョコビッチも時間の問題のようだ。

 BIG3の凋落とともに、ゴフィン、ワウリンカ、ガスケ、モンフィスらの中堅選手たちが一斉にランキングを落としている。イズナーは引退。錦織は先行きが見えない。

 ところがBIG3に代わって台頭してきた若手選手たちが、まるで魅力がないのだ。シナー、アルカラス、ズベレフ、チチパス、メドベージェフなどである。