楫取素彦

(町田 明広:歴史学者)

中岡による薩長融和に向けた周旋の開始

 薩摩藩の薩長融和に向けた動向は、先行していた福岡藩士を中心とした薩長融和運動に弾みを付けた。この周旋運動の輪に五卿従者である中岡慎太郎が加わり、岩国・吉川経幹の周旋に並行して、宗藩である長州藩を巻き込み、一層の進展を見せることになる。

 中岡は薩摩藩・西郷隆盛の真意を測るため、元治元年(1864)12月4日に早川勇の従者に身をやつし渡海し、小倉において西郷と面談した。中岡はこの会談で、西郷が薩長融和に前向きであることを確信し、以後、西郷と行動をともにしていた吉井友実や、中岡同様に五卿従者であった土方久元などとも協力し、積極的に周旋することになる。

吉井友実

 元治2年(1865、慶応元年に4月7日改元)2月13日、吉井は薩摩藩士と称して中岡・土方を伴って上京した。これは、五卿のリーダーである三条実美の意向であり、中岡らに中央政局の政情を偵知させ、特に薩摩藩の藩論を確認し、薩長融合に向けた端緒を開きたいとの内意に、吉井が賛同したことによる。

 中岡は2月23日の退京までの10日間に、小松帯刀1回、大久保利通2回、伊地知正治2回、吉井7回など、薩摩藩士と会談を重ねた。そして、京都留守居役の内田正風らとともに胡蝶丸に乗船し、3月3日に博多で下船、そのまま大宰府に向かい三条ら五卿(三条・三条西季知・東久世通禧・壬生基修・四条隆謌)に謁見して、京都情勢を伝達した。