完成したカイコ蛹入りのポップコーン「飛んで火に炒る夏の虫」製造・販売:信濃毎日新聞株式会社

(昆虫料理研究家:内山 昭一)

製糸工場の女性たちのおやつだったカイコ蛹

 信濃毎日新聞社が「飛んで火に炒る夏の虫」という新商品を博報堂とのコラボにより開発、4月に発売しました。カイコ蛹入りのポップコーンです。信濃毎日新聞社は環境問題や食糧難に対応する昆虫食の可能性を探り、信州発の昆虫食を国内外に発信する「昆虫みらいプロジェクト」を立ち上げ、すでに多くの食品開発やイベントを実施しています。

 そしてテレビ信州から筆者に連絡があり、この商品を報道番組で紹介するにあたり、「なぜ信州で昆虫食文化が根付いているのか」というタイトルで取材したいとのことでした。今回は私が考えるその理由について紹介したいと思います。

「伊那谷における昆虫食は、ゲテモノ食いと言われるような奇妙な風習ではなく、当初から食糧危機を見据えてきたやむをえない食文化でもない。自然界にあるものを無理なく採集し、美味しく食べる工夫をし、自然を壊すことなく長く食べ続けられる様に守り続ける、とても豊かな食文化なのである」と伊那市創造館館長の捧剛太さんは語っています。

 しかし、この食文化は信州に限ったものではありません。1919年(大正8)に昆虫学者の三宅恒方が全国規模で行った「食用及び薬用昆虫に関する調査」によれば、全国で55種類の昆虫が食べられていました。

 この調査で明らかなように昆虫を食べる文化は全国に見られ、一部地域の食習慣ではないことがわかります。とりわけ戦前から戦中にかけて高栄養食品としてイナゴ食が推奨されるようになり、イナゴは稲作の副産物として特に内陸の多くの地域で食べられてきました。

 信州もその例外ではありません。県民によく知られている県歌「信濃の国」にも歌われているように、十州に囲まれた信州は内陸県で昆虫が豊富でした。松本、伊那、佐久、善光寺という4つの平の水田地帯ではイナゴ、近くの里山ではジバチがたくさん捕れました。

 諏訪湖畔の岡谷などで盛んだった養蚕によって蛹食も普及しました。映画化もされている山本茂実が1968年に発表したノンフィクション文学『あゝ野麦峠』(副題『ある製糸工女哀史』)には、製糸工場での女性労働者たちが作業の過程で出る蛹を「おやつ」代わりに食べていたという記述があります。余談ですが私の昆虫食との出会いも蚕の蛹でした。ですから信州に昆虫食が根付いた理由の第一は、たくさん採れたということでしょう。