(英フィナンシャル・タイムズ紙 2024年5月2日付)

南カリフォルニア大学(USC)の卒業式でイスラム教徒の学生スピーチを取りやめたことに対して抗議する学生たち(4月18日、写真:ロイター/アフロ)

 キャンパスで抗議活動を行っている大学生たちの愚行――あるいはもっとひどい行為――に米国がいらだっている。

 だが、最も愚かなのは大人たちだ。

 学生のデモを目の当たりにした大人たちの役目は、権利を犠牲にすることなく平穏さを維持することだ。

 ここで言う権利には言論の自由や身体の安全も含まれる。

燃え盛る大学キャンパス

 この役目を担う時には何らかの原則にのっとった一貫性が求められる。

 実際には、あらゆる階層の大人たち――共和党員、民主党員、メディア、そして大学本部――が、若者たちの特徴として嫌っているヒステリーと独断的な考えを見せている。

 こんなことでは、デモ参加者がますます怒りを露わにするのも当然だろう。

 多くの仲間に嫌われるような主張を伴う抗議行動であっても、当の学生にはそれを行う権利がある。

 ガザで民間人が何万人も殺害されていることに対する怒りは、それを発する人が代われば、イスラエルからユダヤ人を追い出せという主張になるかもしれない。

 デモ参加者のなかには、イスラエルを世界地図から消し去ろうというのがイスラム組織ハマスの世界観であることを知りつつ賛同している人もいる。

 ユダヤ人国家の建設を認めない反シオニズムが果たしてどこで反ユダヤ主義になるのか。両者の境界線は曖昧だ。

 だが、ほとんどの人は――当の責任者は除いて――合法的な抗議行動と暴力行使の呼びかけを区別できる。