生徒の知的好奇心が満たされる筑駒の授業
小林:中学校、高等学校の授業は、本来、学習指導要領に沿って行われます。もちろん、筑駒も学習指導要領に見合った授業をしてはいます。
ただ、教科書通りの授業では、筑駒の生徒の知的好奇心を満たすことはできません。何しろ、生徒たちは頭が良すぎます。教員たちも、それを熟知しています。そこで、教科書の範囲内で、多少応用が必要なレベルまで教えるようにしているようです。
歴史の授業であれば、歴史の中の一つの出来事を抜き出し、そのバックグラウンドを事細かに掘り下げて教える。このような授業は筑駒の伝統的なもので、ある意味では生徒のニーズを満たすものでもあります。
ただ、その内容の多くは、大学の入試対策になるとは言いがたいので、筑駒の生徒の多くは、塾、特に鉄緑会に通い、大学受験に備えるのです。
──筑駒は、どのようにして日本トップの進学校となったのでしょうか。
小林:私の取材や考察に基づくものではありますが、筑駒が進学校となったのは偶然の産物です。
もともと、国立大学の附属校に対しては、信仰のようなものがありました。「官が運営している」ということで、信頼度とブランド力があったのです。
筑波大附属高校の前身である東京教育大学附属高校は、戦前は東京高等師範学校の附属校でした。東京高等師範学校は、当時、教員養成では国内トップクラスの実力を誇っていました。
その附属の学校で、なおかつ官立(国立)であれば、最先端の教育をしているに違いないと当時の教育熱心な保護者は考えました。そういった歴史的な「国立の附属はすごい」という妄信的な幻想が、なぜかいまだに残っているんですよね。
筑駒の特徴は、第二次世界大戦後にできた国立大学の附属校で、なおかつ男子校であるという点です。戦後のある時期は、難関大学を目指す、良い教育を受けるには共学よりも別学のほうがいいという考え方がありました。
ところが、戦後、国立大学の附属校は共学化が進んでいきます。唯一、教駒(東京教育大学附属駒場中学・高等学校、現・筑駒)だけは、男子校のまま残りました。そのため、1950年代から60年代にかけて保護者からの信頼を得ることができました。
そして、中高一貫になったことで、たまたま優秀な子がそのまま高校に内部進学し、東大に合格した。
そんな流れで「教育大学附属校(現在の筑波大附属校)よりも、教駒のほうがすごいんじゃないか」ということが学習塾で言われ始めました。