「大誤算だった」とナワリヌイは笑った

 一度は、妻や子どもたちはもちろん、ナワリヌイのスタッフたちも帰国は止めたはずである。と思うのだが、どうもそうではないらしい。

 娘のダーニャ(当時19歳)は、もし父親が踏みとどまるなら、「私が“帰って戦って”」という、といっていた。映画の特典映像「ナワリヌイ Q&A」には、スタッフたちも帰国に反対しなかったといっている(むしろ全面的に支援した)。反対しても、かれの意思は変えられないとわかっていたからというのだ。

 監督のダニエル・ロアーは、映画を通してわかったナワリヌイの人となりについて「鉄壁の意志、精神、性格」といっている。ナワリヌイが恐怖を感じないわけがないが、「怖がっている様子は微塵も見せなかった」と。

 チームスタッフのマリアは、ナワリヌイがなぜ帰国したかについて、かれにとっては「物理的にその場に存在すること」や「人々と一緒にいること」が大事だったといっている。たぶんそうなのだろうと思う。

 ナワリヌイは2018年の大統領選に立候補したあと、腕をねじ上げられ、弾圧され、投獄された。それまでは「有名になればなるほど安全になると確信」していた、といっている。自分が有名人なら、殺す奴も困るだろうから、と。監督に「誤算だった?」といわれると、ナワリヌイは「大誤算だった」といって楽しそうに笑った。

 読み違えがナワリヌイにあったかもしれない。

 だが確かなことはなにもわからない。「ナワリヌイ Q&A」の司会をするCNNのエリン・バーネットがいうように、「あのような不屈の精神と勇気を持つ人は多くありません」ということだけが、確かなことである。

名前や住所を書いてでも署名をした人々

 ロシアの36の都市で献花や追悼に参加した人の400人以上が拘束された。世界各国のロシア大使館前でデモが行われた。東京でも行われた。

モスクワ連邦保安局の近くにあるナワリヌイ氏のモニュメントに献花する女性(写真:AP/アフロ)モスクワ連邦保安局の近くにあるナワリヌイ氏のモニュメントに献花する女性(写真:AP/アフロ)

 感心することは、ロシアにはいまだに勇気ある人々がいることだ。その第一は、2022年3月、国営テレビの夜の生放映中に、反戦メッセージを書いた紙を掲げてテレビに映りこんだマリーナ・オフシャンニコワ(当時43歳)である。

 今回もウクライナ侵攻反対を掲げた元下院議員ボリス・ナジェージュジンが、3月に行われる大統領選挙へ出馬を表明したのである。しかしかれが出馬表明をした昨夏、かれはプーチンの傀儡とみられ、ほとんど注目されなかった。

 それゆえ中央選挙管理委員会から大統領選への候補者登録に必要な10万人の署名集めを許可されたのである。