山中城 撮影/西股 総生(以下同)

(歴史ライター:西股 総生)

◉戦国屈指の激戦地・山中城を歩く(前編)

「ベルギーワッフル」のような障子堀

(前編からつづく)岱崎出丸をひとわたり歩いたら、国道1号線を横切って西ノ丸へと向かおう。西ノ丸は、1590年3月29日の攻略戦で徳川勢が担当していた場所だ。

 西ノ丸の外側をめぐる遊歩道を上ってゆくと、巨大な空堀が口を開けて待っている。ここも出丸と同じ障子堀だ。いや、出丸の堀より幅が広い分、障子のパターンも複雑である。西ノ丸の障子堀はよく「ベルギーワッフルみたい」といわれる。でも、よーく見てほしい。

山中城西ノ丸の障子堀

 ベルギーワッフルの目は縦横等間隔の十字型だが、西ノ丸の障子は十字型になっていない。T字の組み合わせでできており、ベルギーワッフルよりはテトリスに近い。これは、敵に障子の上を歩かせないための工夫だ。うっかり上を歩いてくれば、T字のところで「おっとっと」となった瞬間、城内からズドンである。

障子堀の障子は十字にクロスしていない

 しかも、本物はさらに怖い。この障子堀は、発掘調査の成果に基づいて整備されているが、実際の遺構を保護するために土で被覆した上に芝を貼っている。つまり戦国時代には空堀はもっと深く、障子はもっと切り立っていて、赤土のむき出しだったわけだ。そんなものが口を開けて、攻め手の兵士たちを待ち構えていたのである。

 西ノ丸で障子堀を堪能したら、無名曲輪を通って北条丸へと向かう。無名曲輪は、前編で説明した胸壁土塁がよくわかる場所である。1590年3月29日の午後、徳川勢が障子堀を突破して西ノ丸守備隊が飲みこまれてゆく様子を、ここから見ていた北条方の兵に思いを馳せてみる。

無名曲輪(手前)と西ノ丸(画面奥)

 無名曲輪から木橋を渡ると北条丸だ。この曲輪を二ノ丸とする説もあるが、もともと「北条山」の名が伝わっていた場所なので、北条丸と呼ぶべきだろう。木橋を渡って曲輪に入る所が枡形虎口になっているので、見落とさないように。

 この枡形虎口には別の道が合流しており、しかも直上には櫓台がある。この組み合わせの意味を知りたかったら、櫓台に上ってみるのが一番だ。櫓台の上からは無名曲輪〜西ノ丸方向が一望できる。そして、無名曲輪から木橋を渡ってくるルートと、別の方向からスロープを上がってくるルートとが、眼下の枡形虎口で合流しているのだ。

北条丸の櫓台と虎口(看板の立っている場所)

 つまり、この櫓台は戦況を把握する指揮所であるとともに、北条丸に至る2本のルートをまとめて監視し、射撃で制圧できるポイントなのである。なんと論理的・合理的なレイアウトであろうか。

 櫓台を降りて歩くと、曲輪の中はスキー場のように傾斜している。築城に際して、曲輪の中を整地して居住性を高めるよりも、堀を掘って土塁を積む作業を優先させた結果だ。山中城が、純然たる戦闘要塞として築かれていたことが、足の裏から伝わってくる。

 この曲輪が「北条山」の名で伝わったのは、北条氏勝が布陣していたからだろう。配置から見て、氏勝の手勢には逆襲部隊の役割が期待されていたのだろう。岱崎出丸・大手口・西ノ丸に襲いかかった豊臣軍が、攻めあぐねて疲弊したところで、一気に討って出て突き崩すのだ。

北条丸から岱崎出丸を見る。氏勝もこの角度で見ていたはずだ

 けれども、氏勝が実際に目にしたのは、全く別の光景だった。北条丸の高台からは、岱崎出丸がよく見える。出丸を守備する自分の家臣たちが、敵の大軍に飲みこまれてゆく様を、氏勝はここから為す術もなく眺めていたのである。

 木橋を渡って本丸へと歩みを進めよう。この戦いで、氏勝は落城前に城を脱出し、居城の玉縄城へと落ちのびている。本丸で指揮を執っていた松田康長が落城は避けられないと判断し、渋る氏勝を説き伏せて脱出させたのだ。

本丸背後の北ノ丸から城外に通ずる道。氏勝はここを通って脱出したのだろう

 1590年(天正18)3月29日、陽春の日がようやく西に傾く頃、山中城守備隊は総崩れとなっていた。豊臣軍の兵たちが複数の方向から次々と本丸に乱入し、踏みとどまっていた北条軍の武士たちと、壮絶な白兵戦を演じることとなった。

本丸のいちばん奥にはひときわ高い櫓台がある

 本丸の奥に一段高い櫓台がある。城将の松田康長が討ち取られた場所だ。くだんの渡辺勘兵衛によれば、両軍の武士たちが組み合ったまま、土塁の上から背後の堀の中に次々と転げ落ちていったという。血みどろの落城であった。

本丸背後の空堀。右手の土塁上から兵たちが堀底に転落していった

 山中城は、整備が行き届いていてビギナーでも気軽に歩くことのできる山城だ。と同時に、壮絶な攻防戦の様子をリアルに追体験できる、稀有な山城でもある。皆さんもぜひ一度、足を運んでみてはいかがだろうか。

 

【参考図書】拙著『戦国の軍隊』では、第一章で渡辺勘兵衛の手記を読み解きながら、山中城攻防戦をドキュメント風に再現しています。城跡散策のお供に、ぜひご一読下さい(角川ソフィア文庫)。