9月1日、文部科学省は「世界トップレベルの研究力を目指すべく、四半世紀にわたって毎年数百億円規模の資金を拠出する国際卓越研究大学」の候補として「東北大学」を選びました。
これは逆にいうと、候補として出ていた他の9大学が、少なくとも「1浪」したわけです。
その9大学とは東京大学、京都大学、大阪大学、九州大学、名古屋大学、筑波大学、早稲田大学、東京理科大学と東京工業大学+東京医科歯科大学の「東京科学大」(仮称)。
明治以来初めてかは定かではありませんが、この種の選定としては非常に珍しい事態となっています。
東大の「浪人」
6月時点で実質的に「東大・京大・東北大」の3大学に絞られていたとも聞き及びますが、まずなにより注目すべき点として、私は「国の大規模な高等学術助成で、東大がほぼ初めて落ちた、東大落第」というポイントに注目したいと思います。
実は、私はこれを大変望ましいことだと考えています。
断っておきますが、私は東大卒の現役東大教官で、東大は母校であり勤務先です。現役の東大教授として、東大にたのむところもたくさんある。
その観点から、良い転機になると、正味で考えています。
人によっては誤解されるかもしれない「伊東は東大教授なのに、東大の落選を喜んでいる、とんでもない、けしからん」うんぬん。
とんでもない。私にとっては東京大学は私一代でなく父祖の代がらの母校で、東京大学そのものに寄せる思いは、昨日今日、ここ20年や30年やってきた人とはケタが違います。
そういう観点から、昨今の東京大学の状況には憂慮するところもたくさんあり、裏表なくよいカンフル注射になればと思うのです。
「なぜ東大は落ちたのか?」
これを深掘りすることは、明治以来の“日本株式会社”が持つ後進国体質の脱却に繋がる希望があると考えるのです。具体的に記してみましょう。