エンジニアの夢が開発を継続させた
現時点で、「MX-30 e-SKYACTIV R-EV」の日本仕様について、詳しい情報が公開されていない。そこで、改めてロータリーエンジンを体感するため、スポーツカーの「RX-8」を試乗した。同モデルは、2003〜12年までの10年間で合計約19万台が生産された。
今回の試乗車は、マツダ本社広報部が保有するRX-8最終期の特別仕様車「スピリットR」。累計走行距離は3万kmほどで、マツダのR&Dセンター横浜(横浜市神奈川区)を起点に関東圏内で3日間をかけて約300kmを走行した。トランスミッションは6速のマニュアルだ。
試乗の模様を紹介する前に、時計の針を2000年代前半まで戻したい。
筆者は、2003年2月に米カリフォルニア州のラグナセカレースウェイで実施されたRX-8の報道陣向け国際試乗会に参加した。そこで、RX-8開発の経緯について当時の開発陣やデザイナーから詳しい話を聞いた。
それ以前にも、RX-8開発チームが同州内で行った実車走行テストの現場にたまたま居合わせたことがある。この時はラグナセカとは別のサーキットで、マツダ占有ではなく、一般のスポーツ走行時間に混じってテストしていた。筆者は別メーカーの広報車を使った走行テストをしていたのだ。
その際、気になったのはマツダが用意した比較車両のBMW3シリーズの存在だ。
スポーツカーではなく、スポーツセダンやスポーツクーペという分野でのベンチマークとしてBMW3シリーズを使い、RX-8で必要とされる運動特性を検証していたのだと思う。
さらに時計の針を戻すと、そもそもRX-8の基本計画は、その名から察しが付くように2ドアスポーツカー「RX-7」に次ぐロータリースポーツ車という発想であった。それが、1995年東京モーターショーで発表したコンセプトモデル「RX-01」だ。
ところが、96年にマツダがフォード傘下になり事態は急変する。マツダ百年史・正史編によると「経営再建が本格化し、(RX-01に関わる)開発体制は大幅に縮小され、次期RX-7の開発は事実上凍結」されてしまった。
それでも、マツダ社内ではエンジニアたちがロータリーエンジンの継続を夢見続けた。そして、性能評価用の試作車を97年秋に完成させ、そのパフォーマンスが経営陣から評価されたことで、98年6月に4ドア・4シーターを条件に開発再開が正式に許可されたという経緯がある。
日常使いもできるようにしてユーザー層を広げ、ロータリーエンジンの量産効果を考慮したのだ。
そして、4ドア・4シータースポーツ「RX-EVOLV(エボルブ)」を99年の東京モーターショーで出展。この4ドアは、マツダが「フリースタイルドア」と呼ぶ、いわゆる観音開きである。センターピラーをなくすため、リアドア内部に柱状の補強部材を埋め込み、さらにリアドアをアルミ化するなどして、強度と軽さを両立させたマツダ独自の技術だ。