1986年、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律、いわゆる男女雇用機会均等法が施行された。あれから40年近くが経とうとしている。果たして、社会において女性は男性と同じ扱いを受けられるようになったのだろうか。
歴史小説家の黒澤はゆま氏は、歴史に名を残した女性偉人を調査し、彼女たちが男性社会で活躍するにあたり、様々な「呪い」と闘う必要があったと指摘する。「呪い」は彼女たちが「女性である」という揺るぎない事実であることもあれば、それに起因して起こる男性からの蔑視、「女性らしく生きてほしい」と願う両親など多種多様である。
男性と女性を同等に扱うという発想など毛頭なかった時代、彼女たちはなぜ偉大な功績を残すことができたのであろうか。『世界史の中のヤバい女たち』(新潮社)を上梓した黒澤氏に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター・ビデオクリエイター)
──本書では、世界的に有名な歴史に名を残した女性たちの裏の顔、ヤバい一面をテーマとしております。なぜ、このようなテーマで本を書こうと思われたのでしょうか。
黒澤はゆま氏(以下、黒澤):初めは有名な女性たちを偉大たらしめた要素を、できる限り忠実に描こうと考えていました。すると、自然と「裏の顔」と言いますか、一般的にはマイナスと捉えられているような側面も書かざるを得なくなりました。
昔と比較して、女性の偉人の伝記も頻繁に目にするようになりましたが、その内容は母性や女性性などを協調して描いたものが多いように感じられます。
例えば、伝記の常連であるナイチンゲール。かつては、「白衣の天使」「ランプの貴婦人」と紹介されることがしばしばでした。しかし、彼女が看護現場で実際に働いたのはクリミア戦争の期間のわずか2年にすぎません。
看護だけにとどまらず、統計学を駆使してイギリス、ひいては世界の医療衛生行政に変革を起こしたという点が彼女の最も大きな功績です。最近になってようやく、ナイチンゲールの統計学者としての実績が伝記に反映されるようになりました。
ただ、彼女がそのような業績を残すに至った過程や、その最中で勃発した周囲とのトラブルについては、まだまだ認知度は低いのではないでしょうか。
「どんなに良い人間でも、きちんとがんばっていれば、だれかの物語では悪役になる」
漫画家のオジロマコトさんが書かれた『猫のお寺の知恩さん』に出てくる台詞です。私は兼業小説家で、日中は会社員をしています。ナイチンゲールとは比べようのない凡人ですが、それでも組織で働いていると、この台詞に思い当たる出来事にたびたび遭遇します。
まして、偉人とも言われる人ならなおさらだと思います。自分の意思を持って、懸命に、誠実に生きようとすれば、どこかで悪役を引き受けざるを得ない。
女性偉人のマイナスの面をことさら強調して書くつもりもないのですが、彼女たちに「嫌なヤツ」「ヤバいヤツ」である権利を取り戻させてあげたいと思い、このような本になりました。
──今回の書籍の中では、「馬に乗ること」が男性社会の象徴のように描かれています。「騎乗」という文化は、男性、女性、それぞれの立場から見て、歴史的にどのようなものだったのでしょうか。