- 質の高い教育をすべての子どもに提供するには、探究と協同を中心とする「協同的学び」が不可欠だ。
- 同時に、学校改革を進めるには、学校という場を保護者や地域に開放し、保護者や地域との協同を進める必要があると教育学者の佐藤学氏は説く。
- 疲弊する教育現場にはシニシズム(冷笑主義)が広がっているが、そこから抜け出すには、実践を通して新しい事実をつくる以外にない。
日本の公教育が崩壊しつつある。
小泉政権下で推進された三位一体の改革で、義務教育費国庫負担制度にメスが入った。義務教育費国庫負担制度とは、各自治体の教員給与の一部を国で負担することを定めたものだ。その歴史は古く、1896(明治29)年の教員年功加棒国庫補助法にまで遡る。1940年には、教員給与の国庫負担率が総額の1/2と定められた。
かようにして、日本の公教育は自治体によらず公平かつ均質なものが提供されてきた。しかし、2006年より、教員給与の国庫負担率が1/3へ引き下げられた。果たして、過疎化で税収が減少している自治体と、財源が豊富な都市圏とで、同様の公教育の提供が可能なのだろうか。
国に頼らずとも、地域と学校、保護者が連携し学校を改革し、子どもたちに公平に学びの機会を提供することが可能だ。そう語るのは、佐藤学氏(東京大学名誉教授、教育学者)である。『新版 学校を改革する 学びの共同体の構想と実践』(岩波書店)を上梓した佐藤氏に、学校改革の術について話を聞いた。(聞き手:関 瑶子、ライター・ビデオクリエイター)
──本書のテーマである学びの共同体とはどのようなものなのか、改めてご説明をお願いいたします。
佐藤学氏(以下、佐藤):学びの共同体とは、教育改革・学校改革のヴィジョンであり哲学であり活動システムです。
子どもが中心となれる場所として学校を位置付け、探究と協同の学びを教室で実現し、親や市民も教育に参加できるような学校をつくる。これにより、地域の子どもたちの学ぶ権利を保証し、教師の「教える専門家」としての成長が促されます。
学びの共同体による公教育は、1990年代頃から現在に至るまで、「21世紀の学校」として世界各国に広がっています。「21世紀型の学校」では、21世紀の社会が必要とするであろう質の高い教育をすべての子どもに提供することができます。
──21世紀の社会が必要とする「質の高い教育」とは、どのような教育なのでしょうか。
佐藤:一言で表現すると、「探究と協同を中心とする学び」です。
質の高い学びというものは、協同の中でしか起こり得ません。独りで学ぶということを想像してみてください。
与えられた課題をひたすら解く、漢字の書き取り練習をする。独りでできる学びは、この程度です。繰り返しの書き取り練習などを頭から否定するつもりはありません。練習による習熟の達成も大切なことです。
しかし、残念なことに、独りで学んだことは短期的な効果にしかつながりません。自分一人の頭の中では、思考が堂々巡りになってしまい、先に進めなくなってしまうためです。
私は、他者の声を聞くことは学びの出発点であり、跳躍台だと言っています。跳躍台に乗って大きくジャンプすることで、既知の世界から未知の世界へ旅立つことができる。「既知の世界から未知の世界へのジャンプ」こそが、学びの本質です。
──書籍内では、「協同」という言葉以外にも、「協力」という言葉も使われています。
佐藤:「協同」と「協力」は、英語ではそれぞれ「コラボレーション」と「コオペレーション」に相当します。日本ではしばしば混同されて使用されていますが、学びにおいては全く異なる概念です。
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