それは関係者の事情である。文在寅政権時代の高官たちは、もし「共に民主党」が大統領選で勝っていれば、今でも政治の実権を握っているはずの人たちだ。文在寅なき後、この人たちが前に出てこないといけない。目立たないといけない。だから、文在寅という「空虚な中心」の周りでべらべら話す関係者たち、という映画の構成になっているのである。

文在寅はなぜSNSを頻繁に更新するのか

 結論を述べると、「元大統領であることはこれほど空虚なのか」というのが、映画を見ての率直な感想である。5年間の慌ただしい大統領任期を終えたあと、やることは農作業くらいしかない。それも幸せな人生なのかもしれない。農作業はクリエイティブな営みだし、そういう老後があるのは尊いことだ。

 しかし、あの、多くの人から尊敬されて熱狂のうちに仕事ができた充実の日々から一転し、郊外でひっそり暮らすというのは、あまりにも寂しいのではないか。人間は果たして、それほどのドラスティックな変化に耐えられるのだろうか。メンタルに異常をきたすのではないか。僕は真剣に文在寅を心配した。

 しかも、今でも、「反文在寅」を掲げる人たちがデモをしに村にやってくる。これはかなりこたえると思う。よく辛抱しているなと思った。