藤波は手さばきが上手で、相手選手に触ったところから攻撃に変えることができるんです。まあ、年代も違うし階級も違っているから比較は非常に難しいですが、藤波が何十年に一度出てくるかどうかというレベルの天才なのは間違いありません。私は天才・沙保里のコーチとして恵まれた時代を過ごせましたが、藤波の試合を見られるというのも恵まれていると感謝しています」

 このように、栄監督も藤波の才能と実力を絶賛する。

直前まで最悪のコンディションだった吉田沙保里のロンドン五輪

 だが、藤波が目標としているオリンピックの金メダルは、それだけではつかみ取ることが難しい。事実、圧倒的強さを誇った吉田沙保里でも、オリンピックで絶体絶命のピンチがあったのだという。

 栄監督がロンドン五輪の知られざるエピソードを明かしてくれた。

「ロンドン五輪では沙保里が選手団の主将に選ばれて旗手として入場行進の先頭を歩いたのですが、そのために自分の試合よりもかなり前にロンドンに到着していかなければならなかった。そのため練習のスケジュール調整が上手くいかなくて沙保里の体調も悪くなり、不眠を訴えるようになっていました。3度目の金メダル獲得を目指してロンドンに入ったのに、私の目から見ても最悪のコンディションです。

 練習パートナーとして連れていった格下の選手と練習試合をしても負けてしまうんです。『沙保里さん、ヤバいっす。あれでは私の方が選手として出たほうがいいです』ってパートナーからも言われるほどの状態でした。もちろん他の選手が代わりに出られるわけがありませんが、そのぐらい調子が悪くて沙保里も落ち込んでいました。この時は『もう3連続金メダルは無理だ』と心の中で私も思っていました。

 それがちょっとしたきっかけで沙保里の心境が一変したんです。レスリングの大会が始まって一日目に出場した48キロ級の小原日登美が金メダルを獲得したんですが、彼女が試合後に選手村の沙保里のところにきて、沙保里に首から下げた金メダルを見せにきてくれたんです。そしたら沙保里の目がパッと輝いて『私はこのメダルを取るために苦しい練習を耐えてきたんだから、必ず持ってかえるよ』と自分に言い聞かせるように言ったんです。心の底から闘志が湧いてきたんでしょうね。アレが沙保里にとっての一番のクスリだったと今でも思っています。

 調子が最悪だったことも当時は内緒でしたけれど、沙保里にもこんなピンチがあったんです」

2012年のロンドン五輪、女子レスリング55キロ級で金メダルを獲得した吉田沙保里選手と栄和人氏。栄氏によれば、直前まで吉田選手の調子は最悪だったという(写真:アフロスポーツ)