1984年のアントニオ猪木(写真:平工幸雄/アフロ)
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 猪木がいない――。そんな空虚感にさいなまれながら毎日を過ごしている昭和生まれのビジネスパーソンは少なくないと思う。

 今月1日、国会議員としても活躍した元プロレスラーのアントニオ猪木さんが天国へ旅立った。14日には葬儀・告別式がしめやかに営まれ、生前の故人とゆかりのあった多くの参列者が集まった。顔ぶれを見てあらためて強く感じたのは、やはり猪木さんは一時代を築き上げたスーパースター、そしてレジェンドであり、格闘技界に大きな功績を残したということだ。

興行的要素よりも「戦い」の部分を重視した新日本プロレスのスタイル

 1972年に新日本プロレスを旗揚げ。「プロレスこそ最強の格闘技である」をモットーとした「ストロングスタイル」をベースとし、ショーマン要素の強いアメリカンプロレスではなく、いわゆるシュート的な“戦い”をリングに色濃く反映させた。

 国際プロレスのエース・ストロング小林さんとのNWF世界ヘビー級戦、日本プロレス時代に猪木さんのデビュー戦相手を務め「三羽烏」の1人と目されていた大木金太郎さんとの壮絶なケンカマッチは1974年に蔵前国技館でそれぞれ3月、10月と立て続けに実現し、当時の人々の心を躍らせた。

 タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、ディック・マードック、ブルーザー・ブロディ、ビッグバン・ベイダーら昭和から平成にかけて数多の強豪外国人レスラーと激突し、名勝負を繰り広げた姿も多くの人の記憶に刻まれているだろう。

猪木とタイガー・ジェット・シン(写真:木村盛綱/アフロ)
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スタン・ハンセン(左)とブルーザー・ブロディの超獣コンビ。1984年撮影(写真:平工幸雄/アフロ)
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