プロボクシングWBA・WBC統一世界ヘビー級王者のモハメド・アリ(米国)、ミュンヘン五輪柔道無差別級金メダリストのウイリアム・ルスカ(オランダ)、極真空手で名を馳せたUSA大山空手の“熊殺し”ウィリー・ウイリアムス(米国)、WKA世界ヘビー級王者のキックボクサー“ザ・モンスターマン”ことエベレット・エディ(米国)らとの死闘はセンセーショナルな話題を呼び、今も名勝負として語り継がれている。
後進に多大な影響を及ぼした「猪木イズム」
これらの「異種格闘技戦」で猪木さんは人気こそ定着していたもののリアルファイトとして“市民権”を得ていなかったプロレスの枠組みだけにとらわれず、あえてさまざまなリスクを背負ってでも恐れることなく社会的認知にこだわり続け、他の格闘技との面子をかけた勝負に打って出ていた。
いつ何時、誰の挑戦でも受ける――。プロレスラーだけでなく強い者ならどんな相手であろうとも闘うという「猪木イズム」は猪木さんの付き人を歴任し、最も間近で見続けてきた佐山氏や前田氏、高田氏らにも多大な影響を与えた。
言うまでもなく佐山氏は後に社会現象を引き起こし、絶大な人気を誇るようになる初代タイガーマスクである。若手時代から抜群の格闘センスを誇った佐山氏は新日本プロレスの若手レスラーでありながら1977年11月には後楽園ホールで行われた「格闘技大戦争」でマーク・コステロ(米国)とキックボクシングルール(日本式と米国WKAの折衝ルール)で対戦している。
タイガーマスクとして四次元殺法を駆使するマスクマンになりながらもリアルファイトへの思いを捨て切れず、当時ぼっ発したクーデター騒動の余波もあって1983年8月に新日本プロレスを退団。その後、自らのジムを設立し、打投極の要素を組み込んだ新たな格闘技「シューティング」を提唱しスタートさせた。「シューティング」は「修斗」と名称を改め、今では人気も完全に定着している。