1983年、第1回IWGPの決勝戦で対決した猪木とハルク・ホーガン(写真:平工幸雄/アフロ)
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1985年、ディック・マードックと対戦する猪木(写真:木村盛綱/アフロ)
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 あの力道山対木村政彦戦と並ぶ「昭和の巌流島決戦」と呼ばれた1974年の小林戦以降も坂口征二氏、藤波辰爾、長州力氏、マサ斎藤さん、ラッシャー木村さんらと同門、他門を問わず日本人対決や軍団抗争、世代闘争で多くのファンを沸かせ、その熱き戦いによって我々に「男のロマン」や「勇気」を与えてくれた。

異種格闘技戦は「プロレスの強さ」を世間に示すための方法

 こうしたリング上の戦いの原点となっていたのが、東京・世田谷区上野毛にある新日本プロレスの道場である。

 猪木さんは多忙の合間を縫っては昼夜問わずここで汗を流し、プロレスのリングではほとんど見せることのないシュートテクニックもスパーリングをこなしながら磨き上げた。その系譜は愛弟子の後輩たちにも受け継がれていく。猪木さんとともに日本プロレスを退団し新日本プロレス旗揚げに帯同した「鬼コーチ」山本小鉄さんの指導のもと、数々の名レスラーたちが誕生した。

1984年6月、新日本プロレスの蔵前決戦のテレビ中継を担当するアナウンサーの古舘伊知郎(右)と解説の山本小鉄(写真:平工幸雄/アフロ)
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1981年ごろ、新日本プロレス海外遠征時のプールサイドでの一枚。前列左からキラー・カーン、アントニオ猪木、新間寿・営業本部長、木戸修、人物不明。後列左から長州力、木村健吾、平田淳二、佐山聡(初代タイガーマスク)、藤波辰爾、藤原喜明、レフリーのミスター高橋(写真:Magic Photo/アフロ)
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 その中には猪木イズムに感化され、新日本プロレス所属レスラーから巣立って行き、後年に総合格闘技(MMA)の発展に多大な貢献を果たすことになる佐山聡氏、前田日明氏、高田延彦氏、船木誠勝、藤田和之らも名を連ねていた。

 1970年代後半から80年代にかけ、猪木さんは新日本プロレスのリングで画期的な「異種格闘技戦」を数多くマッチメイク。中継権を持っていたテレビ朝日の全面バックアップも受け、他の格闘技の強豪選手と対戦することでプロレスラーの強さを満天下に見せつけようと試みた。