RIZINのリングで統括本部長、キャプテンを歴任し「出てこいや」でお馴染みの高田氏も、元々は猪木さんに憧れて新日本プロレスに入門した。前田氏らとともに第一、二次UWFと行動をともにした後、UWFインターナショナルを設立。1997、1998年と二度にわたって苦杯をなめたが、400戦無敗のヒクソン・グレーシーと産声を上げたばかりのPRIDEのリング上においてリスク覚悟のリアルファイトで戦い、日本の総合格闘技の礎を作り上げた。

 新日本から第二次UWFを経て総合格闘技団体「パンクラス」を設立、ヒクソンとも総合ルールで戦った船木も猪木さんの弟子。かつて総合ルールで「霊長類最強」と言われたマーク・ケアーや、「ビースト」の異名を持った絶頂期のボブ・サップと対戦して圧勝した藤田も新日本プロレス出身で、一時期は「猪木事務所」にも所属し「猪木イズム最後の闘魂継承者」とも称されたレスラーだ。そして柔道メダリストで元プロレスラー、元総合格闘家の小川直也氏も猪木さんの愛弟子である。

「燃える闘魂」は永遠に不滅

アントニオ猪木。1984年撮影(写真:平工幸雄/アフロ)
拡大画像表示

 これまで幾度となくプロレスや格闘技の取材に携わってきた筆者だが、この世界に入る前まで実を言えば「猪木信者」の1人でもあった。

 プロレスに「戦い」の魅力を植え付け、一方で現在隆盛を誇るMMAの基盤を作り上げる優秀な人材も数多く輩出した猪木さんの功績は計り知れない。アリ戦を筆頭とした異種格闘技戦を実現させなければ、UFCもRIZINも間違いなく生まれることはなかっただろう。

 燃える闘魂は永遠に不滅であり、偉大な伝説は未来永劫語り継がれていくはずである。合掌――。

(一部敬称略)