話が逸れてしまったが、伊藤が「掘れ! 掘れ!」と叫んだ黒田の処遇を決める閣議に戻ろう。伊藤が激高する一方、出席者の一人である大木司法卿は伊藤に対して、「証拠もなくそんなことはできない」と述べる。議論が平行線をたどったところ、実質的な最高権力者の大久保が意見を求められ、「大久保をお信じくださるなら、黒田もお信じくだされたい」と発言し、さすがの伊藤も黙らざるをえず、みな、納得して、閉会したという。
もちろん、この内容だけで、黒田が妻を殺してないとも、大久保が墓を掘り起こすことを命じてないとも決めつけられない。問題は事実がここまで曖昧でありながら、黒田による斬殺説と墓の掘り起こしが現代にまで広く浸透したことである。
「酒乱」のイメージを強く植え付けた「酔って大砲ぶっ放し」事件
結論を述べると、それは全て、黒田の身から出たさびだ。斬殺疑惑の二年前、黒田は、1876年の夏に黒田長官大砲事件と言われる事件を起こしている。北海道の開拓長官であった黒田は乗っていた船から突然、沖の岩礁を目がけて大砲を放つ。これが誤射になり、弾が漁師の斉藤清之助の小屋を直撃。破片が飛び散り、母屋にいた娘が重傷を負い、亡くなったのだ。
砲撃の理由は謎だが、酒に酔った黒田が、船内で「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士との議論にいら立ち、砲撃を命じたとの説もある。諸説あるのだが、結局、黒田はいずれにせよ酔っている。酔っていたことには議論の余地は無い。もはや、論点は、どのような酔いっぷりの末、砲撃したかでしかない。頑張って好意的に捉えても、結局、黒田=酒乱の構図は変わらない。
司法権者であった当時の黒田は罰金100円を船長に課し、船の監督から徴収した40円を清之助に埋葬料として渡し、事件をおさめようとした。当然、清之助は怒りがおさまらず大問題になった。
「酔って大砲で誤殺しているわけだから、妻を斬り殺してもおかしくない」。レッテルを貼られるとイメージの回復が難しいのは古今東西変わらないのである。
首相経験者が妻を斬殺したりしては末代までの恥にもなりかねないが、驚くなかれ、実際、現代までこの事件は影響を残している。
2005年1月5日の朝日新聞朝刊によると、黒田清隆のひ孫の黒田清揚さんの体験を、「酒席で、『おおこわ。黒ちゃんの隣に行くとたたき斬られちゃう』と揶揄されたこともあったという」と紹介している。当時、七四歳の清揚さんは「あんまりだ」と憤っているが、確かにあんまりである。「やーい、お前のひいじいちゃん、嫁さん殺したんだろ」って、まるで子どものいじめであるが、リーダーたる者、ちょっとした酔いすぎが、自らの地位のみならず、子孫にまで類が及ぶことを頭の片隅には入れておくべきだろう。
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