内閣を率いていた黒田だが就任から一年半後の1889年10月に辞職に追い込まれる。当時、欧米列強との不平等条約の改正を進めていたが、妥協してまで進めたくなかった伊藤が自らも枢密院議長の立場にありながら、倒閣に動いたのが引き金となった。「伊藤の野郎‼‼ いつも邪魔しやがって」と黒田が怒り狂ったことは容易に想像できるだろう。

 薩長の派閥の違いもあり、汚名を着せられた形の黒田の怒りはおさまらない。同年12月に酔いに酔った黒田は伊藤と同じ長州閥の井上馨の邸宅を訪れる。訪れるといっても冷静に話し合う気はない。そもそもシラフではない。井上は不在だったが、怒りはおさまらず、応対した使用人に「今日は明治政府の姦賊を誅戮する為に推参したり」などと数々の暴言を吐く。どっちが姦賊じゃ! そもそもおまえはただの酔っ払いだろ‼ とは使用人も突っ込みたくて仕方がなかっただろうが相手は酒乱。黙るしかない。

 可哀想なのは井上だ。井上にしてみれば、伊藤と同じ長州出身とはいえ、自身には関係ない話なのだが、黒田にとっては井上はにっくき伊藤の仲間。「伊藤一派許さん!」と殴りこみにいったというわけだ。もはや、暴力団の抗争さながらである。

毎晩一升の酒を飲んだ伊藤博文

 暴走機関車のような黒田だが、黒田も黒田で意外にセコく、この頃長州どころか政界のドンになっていた伊藤や、同じく長州閥で陸軍を統括していた山県有朋にカチコム度胸はなく、「長州でも井上ぐらいなら、大丈夫かな」と計算ずくで酔狂を演じた可能性が高い。

 いっぽう、黒田の前に立ちはだかった伊藤だが、彼も酒好きで有名で、日本酒を特に好んだ。伊藤は1880年代前半、40歳を超えた頃、憲法の調査と策定に動き出すが、政府内で理解を得られず苦しんでいた。

 そのいらだちもあり、この時期、神経症に陥り、深酒に走る。毎夜、一升の酒を飲むことで、ようやく寝付けたという。