雪風が太平洋戦争を戦い抜けた背景としては、乗員の練度が非常に高かったためという意見が多く聞かれますが、それ以上に神がかった強運に恵まれていたとする声が少なくありません。

 実際に、戦時中、直撃したロケット弾が不発状態のまま突き刺さったり、敵の攻撃を受け始めるや豪雨によって免れたりなど、その強運を示すエピソードが数多く残されています。

 こうした雪風の不死身さは戦時中からすでに有名で、同じく長きにわたり活躍し続けた駆逐艦「時雨」と並び、「呉の雪風、佐世保の時雨」と称されていました。

日本への返還は叶わず

 雪風は戦後、外地にいた日本人の復員輸送任務に就き、水木しげるをはじめ多くの復員者を輸送しています。その後、連合軍に接収された雪風は台湾の中華民国に引き渡され、「丹陽」という艦名に改められました。