その哨戒任務で信濃丸が五島列島沖を航行していたところ、夜間に怪しげな汽船を発見します。接近したところ、汽船のすぐ近くに十数隻の艦隊が一緒に航行しているのを発見するに至ります。この艦隊こそ、ロシア軍が日本へ派遣したバルチック艦隊でした。

 バルチック艦隊を発見した信濃丸はすぐ「敵艦見ユ」という言葉とともに、その位置情報を海軍本部へ打電します。

 一方、バルチック艦隊は信濃丸の存在に気付かなかったのか、信濃丸に攻撃することはありませんでした。そのため追跡任務を巡洋艦「和泉」に途中で引き継ぎ、信濃丸は無事に海域から離脱することができました。

 その後、信濃丸の電報を受け日本の連合艦隊が出撃し、両艦隊がぶつかり、日本が大勝します。この日本海海戦は日露戦争における日本の勝利を大きく決定づけましたが、その勝利の陰で信濃丸が果たした役割は決して小さくないとみられています。

信濃丸