西南戦争の戦場となった熊本城(出所:写真AC)

(花園 祐:中国・上海在住ジャーナリスト)

 西郷隆盛(さいごう・たかもり、1828~1877年)が旗頭となり、1877年2月に鹿児島で勃発した「西南戦争」(同年9月まで)は「日本最後の内戦」とされています。その戦闘は非常に激しく、数万人規模の軍隊同士がぶつかり合いました。戦闘期間は約8カ月間に及び、両軍合わせて約1万3000人の戦死者が出るなど熾烈な戦いとなりました。鎮圧に赴いた明治政府軍にとっても、開戦当初においては薩軍に敗北を重ねるなど、容易ならざる戦いでした。

 そんな西南戦争は、後の日露戦争(1904~1905年)で大きな役割を果たすこととなるキーマンたちにとっても少なくない関わりがあったことをご存じでしょうか。

 今回は、若かりし3人のキーマンが西南戦争とどう関わり、それが彼らの一生にどう影響したのかをまとめてみました。

連隊旗を失い自決を図る

 日露戦争における最も有名な軍人といえば、息子2人を失いながらも旅順攻囲戦を指揮し、明治天皇崩御時には夫人とともに殉死した、乃木大将こと乃木希典(のぎ・まれすけ、1849~1912年)で間違いないでしょう。