水木しげるロード(鳥取県境港市)のブロンズ像「ゲゲゲの鬼太郎の塔」(資料写真、写真:長田洋平/アフロ)

(花園 祐:中国・上海在住ジャーナリスト)

 2015年に亡くなった漫画家の水木しげるは「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」をはじめとする妖怪漫画で広く知られていますが、一兵卒として太平洋戦争に従軍した経験から、軍紀物の漫画も数多く手がけています。

 そんな水木しげるの従軍体験を追うと、出征時と引き揚げ時の両方に、歴史に燦然と名を残した著名な“幸運艦”(激戦に参加しながらも無事に帰還する、幸運に恵まれた軍艦)の名前が出てきます。

 そのうちの1隻は「信濃丸」という船です。日露戦争において、かの有名な「敵艦見ユ」という電報を打った船でした。水木しげるは、南方に送られる際に信濃丸に乗船します。

日本海沖でバルチック艦隊を発見

 信濃丸は1900年、日本郵船の貨客船として英国で建造されました。竣工後は当初の計画通り、シアトル航路に用いられていましたが、1904年の日露戦争勃発後、陸軍によって徴用され、軍艦として使用されることとなります。信濃丸は徴用後に仮装巡洋艦として改装されると、日本海付近で哨戒任務を負うこととなりました。