戦後、信濃丸は再び引揚者の輸送任務に使われましたが、1951年に廃船となって解体されています。

 日露戦争でバルチック艦隊を運よく発見し、さらに太平洋戦争でも徴用されながら沈没することなく終戦を迎えられたことから、まれにみる幸運艦であったと評価されています。

いくつもの海戦を生き抜いた「リアル不沈艦」

 水木しげるは、終戦後の復員時にも幸運艦に乗船しています。その船とは、リアル不沈艦と名高い、あの駆逐艦「雪風(ゆきかぜ)」でした。

 雪風は軍事色が強まっていった1940年、陽炎型駆逐艦の8番艦として竣工されました。竣工翌年の1941年に太平洋戦争が勃発すると、輸送任務をはじめ、各方面のあらゆる作戦に使用され続けました。

 驚くべきは、参戦した海戦の多さです。ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦のほか、戦艦「大和」も沈んだ坊ノ岬沖海戦など、太平洋戦争の主要な海戦のほぼすべて参戦しています。それでいながら、ほかの日本の艦船が次々に撃沈されていく中、雪風だけはなぜか無事に帰還し続け、沈むことなく戦後まで生き抜いたのです。

駆逐艦「雪風」