「浮かんでいるのが不思議」
日露戦争後、信濃丸は徴用を解除され、再び旅客業務に運用されるようになります。ただ運用開始から長い年月を経た1930年、信濃丸は日本郵船から売却され、その後は蟹工船として改装されます。この時期はカムチャッカ半島方面で操業していたそうで、先の戦争で因縁のあるソ連から、度々領海侵犯の疑いをかけられたそうです。
このまま蟹工船として使われ続けるかと思われた信濃丸でしたが、1941年の太平洋戦争勃発後、再び旧日本海軍に輸送船として徴用されることとなりました。
水木しげるが乗船したのは、まさにこの時のことでした。激戦地であるラバウルへ出征する際、信濃丸に乗船したことが本人の著作にも描かれています。水木しげるは、乗船する船があの信濃丸だと知った時は「まだ現役だったのか!」と非常に驚いたそうです。実際、当時の信濃丸は「浮かんでいるのが不思議」と言われるほど、オンボロな有様だったようです。
当時、日本のシーレーンは既に米軍によってほとんど遮断されており、多くの輸送船がその途上で撃沈の憂き目にあっていました。ただでさえ危険な航路を、信濃丸のような古い船で南方まで行きつけるのかと、誰もが懸念したそうです。
しかし、水木しげるを乗せた信濃丸は撃沈されることもなく輸送任務を無事に果たし、大戦期を生き抜いて戦後を迎えることができました。