「おっさん」に見えない足元の生活課題

 ただ、フリーランスとなって、堂々と女性、そして子育てをする一生活者として地域社会に根ざして暮らしていて、記者クラブ加盟社が伝えること、つまりマスメディア報道だけを見ていても、身近な、足元の生活課題はわからないのだと会得したことは収穫ではある。

 編集権のトップにいる人たちが、どこの社も圧倒的に男性ばかりであることは周知の事実。彼らのどれくらいが、育児や家事に対し、当事者意識を持って担っているのかは、知ったことではないが、新聞紙面を広げれば、「おっさん」だらけの政治の世界の政局裏話は載っていても、生活者実感に根ざし、人権感覚と批判的視点をもった政策課題ものは多くはない。地域面を見ても、その地域に根ざして暮らす生活者の目線で書かれた記事は少ないのが現実だ。

 現に、来年度から広島市の放課後児童クラブが有料化され、世帯によっては現行の5倍くらいの費用がかかることになることについて、待てど暮らせど丁寧に報道する記事は見当たらない。あれだけ「異次元」の子育て施策やら、女性活躍推進やら、世間では言われているのに、である。

めざすは、「下から目線」の物書き

 参政権や平和を求めた100年を超える長い女性たちの闘いの延長線上に、「国際女性デー」が国連総会で議決されたのは1977年という。その年に生まれたわたしは、申し訳ないことに、国際女性デーはおろか、自分の中の「女」にすら長く気づかずにぼさっと過ごしてきてしまった。

 だが、変わらず続く圧倒的な男性優位社会とわが子たちのおかげで、女としてのアイデンティティを持つに至った。そして、組織に属さない個人になったことで、堂々と女として生きていこうと思えるようになった。女としてごきげんに暮らし、母親であることを周囲に詫びずに生き、生活者実感を伴った「下から目線」の物書きでいよう。それが、今年の国際女性デーにあたってのわたしのささやかな所信表明だ。