出産して気づいた、自分の中の「女」
子どもを産む前、新聞社の男社会ぶりに気づいていなかったのは、自分自身が「おっさん化」していたからだったのだろうか。
もともと「ボーイッシュ」だとか「男っぽい」だとか(いずれも死語あるいはジェンダー的に問題ある表現かもしれないが)言われ続けてきた自分が、妊娠出産というライフイベントを経て自分の中の「女」に気づき、そしてそれがディスアドバンテージでしかないような気持ちにさせられてきた。そんな日々だった。
「おっさん」たちは「パパ記者」と呼ばれることはほとんどないのに、子どもを産んだだけでほぼ自動的に「ママ記者」なるラベリングをされる現実も、ただただ不思議でならない。
そんな、子育てをしながら働くことが悪いことかのように思わせられる環境でなくなり、堂々と子どもとの生活を優先しながら働くことができているということは、フリーランスになったことの何よりの収穫かもしれない。男性優位なホモソーシャル組織の中で圧倒的マイノリティでいる罪悪感ばかりを抱いていたが、そういう権力構造に身を置かなくなったことで、「すみません」なんて言わずに子どもを育てながら仕事ができている自分がいる。
そして「ああ、女でよかった」と今、思えている。純粋な「一生活者」となったことで、地域が抱える、目の前の、足元の、生活課題がよく見えるようにもなった。
一方で、失ったものもある。