「マスメディア」「記者クラブ」はやはり特権だった

 それは「マスメディア」あるいは「記者クラブ」という特権だ。官公庁がらみで一つの情報をとったり、流れをフォローしたりするのに、こんなにエネルギーがかかるとは。まず「フリーランス記者の宮崎ですが」と電話で告げると「は?」という反応を受ける。積極的には使わない切り札「元朝日新聞記者の宮崎ですが」を使ったとて、特段メリットはないが、「ああ、記者さんなのね」とはなる。

 先月配信した記事<トヨタが社長人事を「トヨタイムズ」で発表した意味、報道機関は理解したか>でも少し触れたが、官公庁は、記者クラブに情報を投げ込むことが、市民に対する広報だと考えているふしがある。もちろん、古き良き広報紙や、わざわざ見に行かないといけないホームページといったものも活用して広報をしているが、記者クラブを重要な広報装置として位置付けているのは間違いない。

 となると、記者クラブにいない記者は、特段相手にする必要もないと考えるのだろう。市議会で「報道関係者席」に座ろうとしたら、「記者クラブの記者だけしか座れない」と言われた。

 まあ、「失った」と自虐的に表現したものの、それが持っているべき特権だとも思っていないのだが、この街では「報道関係者」イコール記者クラブ加盟社の記者、であることに間違いない。だから、私のようなどの新聞社にもテレビ局にも属さない人間は「報道記者」としては扱われないのだ。

 という現実を見るにつけ、自分自身も長らく、特権階級の人間だったんだということに気付かされる。ちゃんと市民社会の「知りたい」に応える報道をしてきただろうか、反省は尽きない。