田中角栄が新幹線ネットワーク整備を指示

 当時の自民党幹事長のポストにあった田中角栄が幹事長室に運輸官僚を呼び、「全国に7000kmから8000kmの新幹線ネットワークを描け」と指示したのは、1969(昭和44)年の春であったという。

 その当時建設が進められていた山陽新幹線が博多まで延伸されても、東京~博多間はおよそ1000kmに過ぎないから、この「7000kmから8000km」という計画は現実的なものではなかったのだが、日本の経済が好況にあった時代には、あらゆるプロジェクトが何らかの成果を生むものと捉えられていたのである。

 そして、1970(昭和45)年5月18日には「全国新幹線鉄道整備法」が公布され、整備新幹線とも呼ばれることになる新幹線5路線の建設が決定する。それは、北海道新幹線、東北新幹線、北陸新幹線、九州新幹線(鹿児島ルート・西九州ルート)だった。

2015年3月に金沢まで延伸された北陸新幹線。2023年度末に金沢~敦賀駅間の開業を予定している(写真:池口英司)

 この法に則る形で、以後、全国への新幹線建設が進められてゆく。当初は輸送力増強のための新線建設であった新幹線建設が、別の性格に生まれ変わったのである。

 確かに新幹線は、在来線から独立し、規格も高く作られていることから高速運転に適し、それは圧倒的な輸送力を生み出す力となるのだが、インフラの整備と維持には相応のコストを必要とする。