シンディー・ローパーとの共演も最初は「誰?」
──その後、海外のアーティストと共演したり、アメリカの有名番組に出演したりと活躍されてきたのですが、共演で印象に残ったシーンは?
YO:いずれも日本での共演のことですけど、フォール・アウト・ボーイさん(米国の4人組ロックバンド)がサマーソニック(2019年幕張メッセ)に出た時、ご本人たちから“一緒にやらないか”というお話が来て、一曲やらせていただくことになったんです。2万人の観衆を前にしてのトリだったので、すごく楽しく、うれしかったです。ただ、この時はリハーサルがなく、楽屋でちょっと曲を流してイメージトレーニングするぐらいで、音量チェックもなくハプニングだらけ。本当に大変でした。
もう一つ、シンディー・ローパーさんと共演(2019年東京公演)した時のことはすごく印象に残っています。ツアーメンバーのドラマーさんが声をかけてくれ、最初は“観に来ないか”ということだったんです。そうしたら公演2日前になって“ドラムセットはどうしますか?”って話になり、結局叩くことになりました。2曲やることになり、その日から練習を始め、行きの飛行機でも曲を聴いていきました。学校もあったのでほとんど練習時間がなく、曲も知らなかったので大変でしたけど、なんとか叩いて、シンディー・ローパーさんとも仲良くなれました。
──共演した方々のことは元々知っていたのですか?
YO:それがどちらも全く知らなかったんです。お話はうれしいんだけど、誰? みたいな感じでした(笑い)。共演が終わって、あとから調べてすごい人だったんだ、と思うことが多くて。今ではすごくいい体験ができたなと思っています。
YOYOKAの才能にいち早く着目した亀田誠治
──日本よりも世界が先に注目したYOYOKAさんですが、そんな才能にいち早く着目し、声をかけてきたのが音楽プロデューサー、ベーシストの亀田誠治氏でした。
父:8歳のころから声をかけていただいて何度も共演させていただきました。今年も6月に開催された日比谷音楽祭でご一緒させていただき、本当に世世歌の亀田さんへの信頼感というのはすごいです。
亀田さんをきっかけに、JUJUさん、いきものがかりさん、KREVAさん、MIYAVIさんなど素晴らしいアーティストの方々とご一緒させていただきました。亀田さんは音楽を伝承していくというか、世代を超えて受け継いでいく大切さをおっしゃっているのですが、世世歌もまた10代前半のミュージシャンの一人として、日本の音楽の未来を担う役割もあると思っています。