インドネシアには「スカーフは被りたい人が被ればいい」という女性も
だが、さすがに今の時代、タリバンのこの理想は国際社会からは強く批判されている。そもそもイスラム法とは9世紀のイスラム法学の成立以来、法学者が神の言葉であるコーランを解釈して作った法律だ。それぞれの国や地域によって解釈も異なっている。
女性の服装についての定めも様々で、現代では個人の自由裁量となっている国も多い。イスラム教徒の女性が頭を覆うスカーフについても、決して強制されているわけではない。本人自身の信仰におけるアイデンティティとして被る女性の方が多いようだ。
つまり、スカーフやブルカ着用をすなわち「女性差別」「女性への抑圧」として結びつけるのはイスラム教の女性に対して、むしろ失礼なことでもある。
しかし、今回アフガニスタンのタリバン政権が決定のように、国家が女性の服装を強制したり教育を受ける権利を剥奪したりするとなると、国際的な人権意識と明らかに対立する。
世界的にはこの100年程で女性の社会進出、ジェンダー平等はめざましく進んだ。イスラム保守派であるハマスが支配する中東パレスチナ自治区ガザでさえ、戦闘員こそ男性だが、街には元気な女性の声が響き渡っていた。さらにヨルダン川西岸地区では、女性と男性はまったく対等の生活を送っているように見える。女性達はジーンズにスカーフという姿で街を行き交っていた。街には女性警察官もいた。中にはスカーフを着けない女性もいる。その女性が言うには「暑苦しいし、仕事の邪魔になるから」ということだが、彼女は、スカーフを被らないことと信仰には何の矛盾もないと言う。
そう言えば知り合いのインドネシアの女性弁護士ヘラさんはこう話していた。
「自分ではアッラーに忠誠を尽くしているつもり。すでにメッカ巡礼も済ませた。だけど被り物は着けない。金曜礼拝も気が向けば行く程度。『イスラム女性は肌を隠せ』なんて、とやかく言われる筋合いはない。スカーフを被りたい人は被ればいい。私も少しは酒も飲むけど、信仰は大切にしている」
タリバンが聞いたら腰を抜かしそうな話だ。
こうして今や、イスラム社会の女性も社会進出し自由に意見を言う世の中になった。だからこそタリバンのような勢力は過度に危機感を募らせているのかもしれない。それにしてもコーランの「女性は美しさを隠し、慎ましく振る舞うこと」という教えは、どう考えても時代の流れに即さない。
今は世界中で女性兵士が活躍する時代だ。アメリカ空軍には戦略爆撃機B1のクルー全員が女性という部隊がある。また、最新鋭ステルス戦闘機のパイロットにも女性がいる。
米空軍の女性パイロットと話をした事がある。
「私が女性であることは軍の中では何の問題もない。すべて男女平等。いざ戦争となれば私も敵を攻撃し殺す。今の世界では女性は戦争で殺される立場だけでなく、殺す立場でもあるのです」
そう話すと彼女はニコッと笑ってカメラに納まった。
そう言えばエルサレムの“嘆きの壁“で会ったイスラエルの女性新兵たちは
「私達に似合うのは背中に背おったM16ライフルだけよ」
といたずらっぽく笑っていた。
タリバンのことから、とりとめもなく頭の中で記憶が蘇ってくる。だが、やはり、かつてアフガニスタンで見た全身をブルカで覆った女性たちの姿は、強烈な印象と共に記憶の中で鮮明だ。
もの言えぬ彼女たちの心の叫びが聞こえてくるような気がした。