(北村 淳:軍事社会学者)
ウクライナ戦争においてロシア海軍の水上艦戦力が深刻なトラブルに見舞われている。一方で、潜水艦分野においてはロシア海軍が強力な戦闘力を誕生させつつある状況は、前回の本コラムで伝えた通りである(「世界最強の攻撃原潜が就役、息を吹き返しているロシア海軍の潜水艦戦闘力」)。
そのコラムで紹介した“最終兵器”ベルゴロド原子力潜水艦に引き続き、ロシア海軍が対艦弾道ミサイルの開発を加速させつつある状況が、先週、ロシア海軍関係者によって明らかにされた。
対艦弾道ミサイル「ズミイヴィク」完成へ
かなり以前より、ロシアで対艦弾道ミサイルの開発が進められていとの情報が流れていた。しかし、開発は難航していた模様で、中国が先に世界初の対艦弾道ミサイルを完成させ、すでに少なくとも2種類の対艦弾道ミサイルを実戦配備させている。
中国に後れを取った形のロシアであるが、間もなくロシア海軍は対艦弾道ミサイル「Zmeyevik(ズミイヴィク)」を完成させることが確実となった模様だ。実戦配備もそう遠くはないものと思われる。
ズミイヴィクは、地上移動式発射装置から発射される弾道ミサイルで、最大射程距離は4000km前後。主たる攻撃目標は航空母艦のような大型艦とされている。装着される弾頭は、飛翔調節を繰り返ししつつ猛スピードで攻撃目標に突入する極超音速飛翔体(HGV)が採用されている模様だ。
この対艦弾道ミサイルを開発製造しているロシアのミサイルメーカー「チェロメイ設計局(NPO Mashinostroyeniya)」は、3M22ツィルコン極超音速対艦巡航ミサイル、アバンガルド極超音速滑空体、バスチオンP地対艦ミサイルシステム、ならびにバスチオンPから発射されるP-800オーニクス超音速対艦ミサイルなどを開発しており、それらの対艦攻撃兵器はすでに実戦配備されており、ロシアの接近阻止戦力の中核を担っている。
中国技術陣に後れを取ったとはいうものの、チェロメイ設計局は上記のように超音速ならびに極超音速の対艦ミサイルを数々生み出している。それゆえ、信頼性のある対艦弾道ミサイルシステムをロシア海軍が手にすることは間違いないものと、米海軍をはじめNATO海軍は警戒を強めている。
極超音速で飛来してくる弾頭の撃破は不可能
もっとも、いまだに対艦弾道ミサイルに対してその実効性に疑問を投げかけ「虚仮威(こけおど)しの兵器に過ぎない」という立場をとっている人々も少なくない。
米海軍内でも10年ほど前には、中国やロシアが開発している対艦弾道ミサイルなどは冷笑の対象であった。「ミサイルそのものはともかく、攻撃目標艦の情報を把握し、補足し、追尾し、命中させるためにミサイルの軌道をコントロールするといった複雑な作業を瞬時に繰り返していく高度な情報処理システムと対艦ミサイルが連動されなければならないシステムなどは絵空事に過ぎない」というのがその理由である。
しかしながら、米海軍情報局などで中国海軍情報の分析を手がけていた対中警戒派の人々は「決して敵の兵器開発努力をみくびってはならない」と警戒を緩めていなかった。
やがて、中国が世界初の対艦弾道ミサイルDF-21Dを完成させ、引き続き中距離弾道ミサイルDF-26にも対艦攻撃能力を付与させるに至って、それら対中警戒派の人々の警告が間違っていなかったことが明らかになっていった。現在においては、DF-21DやDF-26などの対艦弾道ミサイルを「中国得意のブラフだ」などして認めようとしない人々は、むしろ無知をさらけ出しているに過ぎない状況だ。
したがって、中国には数年の後れを取ってしまったものの、近々チェロメイ設計局が完成させるズミイヴィク対艦弾道ミサイルは、米海軍やアメリカとともにロシアと敵対する諸国の海軍にとっては極めて恐るべき兵器ということになる。
ロシアと敵対する海軍艦艇に対して、最長で4000km離れたロシア領内の地上から発射されるズミイヴィク対艦弾道ミサイルは、米海軍が装備している旧式ハープーン対艦ミサイルの11倍もの高速で攻撃目標に突っ込んでくる。アメリカが誇ってきた超高性能防空システムであるイージス戦闘システムといえども、極超音速で飛来してくる弾頭を撃破することは不可能と言われている。
ロシアも構築させつつある「接近阻止戦力」
前回の本コラムでも指摘したように、ロシア海軍は水上戦闘能力に大きな不安を抱いている状態である。しかしながら、アメリカの対艦ミサイル程度の性能のミサイルを発射するバル地対艦ミサイルシステム(最大射程距離300kmの亜音速ミサイルを発射)、上記のバスチオンP地対艦ミサイルシステム(最大射程距離450kmの超音速ミサイルを発射)、さらに近い将来配備が始まるズミイヴィク対艦弾道ミサイル、といった地対艦攻撃兵器(すなわちロシア領内から海洋上の敵艦船を撃破する兵器)によって、水上戦闘艦戦力の劣勢を補おうとしている。そして、この方針は、沿海域の防衛戦略としては間違いなく功を奏する。
米海軍の伝統的戦略は、敵の沿海域まで接近して敵の領域内を攻撃するという戦力投射遠征戦法を主軸としている。しかしながら、太平洋側からのアメリカ海洋戦力の接近を阻止する戦力の構築に努力を傾注してきた中国は、すでに対艦弾道ミサイルや極超音速対艦兵器をはじめとする多種多様の地対艦攻撃戦力と防空戦力をずらりと取り揃え、アメリカ海洋戦力を中国沿海域には寄せ付けない態勢を完成させつつある。
そして、ロシアも、中国の接近阻止戦力と類似の戦力を海洋側(とりわけ極東方面、北極海方面)に構築させつつある。
これらの接近阻止態勢の出現により、アメリカの覇権維持戦略は抜本的転換を迫られているのである。