戦争を記録するメディアの進化
こうした記録は、戦争表現の長い進化の最新段階にほかならない。
写真機がまだなかった頃、画家は自分の絵を見る人々に、ここに描いた出来事を自分は実際に目撃したのだと説明し、納得してもらわねばならなかった。
フランシスコ・デ・ゴヤは版画の連作「戦争の惨禍」の1枚に、「私はこれを見た」と書き添えている。
19世紀半ばになると、写真家が紛争の記録を取り始めたが、機材がかさばったり現像が面倒だったりすることから、戦闘の様子を撮ることはできなかった。
そのため、クリミア戦争で砲弾が散乱した道路の様子を象徴的にとらえたロジャー・フェントンの「死の陰の谷」のように、戦いが終わった後の様子を写すことが多かった。
やがて軽量の35mmフィルムカメラが発明され、戦争の前線でも使用できるようになった。
スペイン内戦では、フォトジャーナリストたちが戦いの強烈な写真――共和国側の兵士が銃で撃たれて倒れる瞬間をとらえたロバート・キャパの決定的なスナップなど――を撮り続け、フランコ将軍に抵抗する勢力への支援を呼び集めることに寄与した。
ベトナム戦争では、戦いの様子がテレビで流された。第1次湾岸戦争はケーブルテレビのニュースで生中継された。
批評家のスーザン・ソンタグが2002年に記したように、「戦争を経験していない人々による戦争の理解は今や、こうした画像の衝撃によってもっぱら形成されている」。
事実だけでなく「体験」を伝える力
そして今、スマートフォンで撮った写真や動画が即座に共有できることから、状況がさらに一歩進んでいる。
SNS専門家のネイサン・ユルゲンソン氏はそうした画像を「ソーシャル写真」や「ソーシャル動画」と呼び、それらの影響力はそこから伝わる情報よりもそこに表現されている経験によって決まると考えている。
記録の手段というよりも、コミュニケーションの手段として機能しているのだ。
「ソーシャルメディアで流通している画像は、説明する以上に喚起している。事実を伝えるのではなく、経験への一般的な注意を促している」とユルゲンソン氏は記している。