あの殺し合いは不可避だったのか

 かつてチェコスロバキアを訪れた時、首都プラハのメインストリートに若い男性の写真が飾られていた事を思い出した。色とりどりの花で飾られたその写真は、いわゆる“プラハの春”でチェコがソ連と戦った時の犠牲者たちの写真だった。

 あの時もソ連軍は突然戦車でチェコスロバキアに侵攻した。その戦車の前に立ちはだかったのは多くの若者たちだった。

 今回のロシアのプーチンによるウクライナへの侵攻で、ウクライナのビール工場がビール生産を中止し、ビール瓶にビールの代わりにガソリンを詰めて火炎ビンを作っているという報道があった。それを見て、ウクライナの人の自由を求める強い気持ちと、そして、国を守るという事の意味を改めて考えさせられた。皆、専制政治が何かを知り抜いている。だからこそ、自由とは与えられるものではなく、勝ち取るものだということが骨の髄まで滲み込んでいるのだろう。

 30年前、サラエボの人々は極限まで追い詰められていた。

 サラエボに滞在したのは20日間だったが、包囲下で踏ん張る多くの人々と出会った。彼らは、恐怖と悲しみと不安、そして飢えも抱えていた。抱えながら生きるしかなかった。サラエボ包囲は、結局1996年まで続き、死者は1万2000人といわれている。

 あの時、話をした男性の「なぜ?」という言葉が耳の奥に残る。

「なぜ、人間は殺し合うのか?」。未だ、我々はその答えを見つけてはいない。