戦時下で高騰する物価、タクシー料金は「マシンガンプライス」
それにしても、包囲下のこの街では、もはや物価という言葉さえない。街にはごくたまにタクシーも走ってはいるが、歩ける程の距離でも料金は400ドル。
「あっちこっちからスナイパーが撃ちこんでくる。俺だって死体になって女房との対面は嫌だからね。マシンガンプライスさ」
そう言って世界一危険なタクシーのドライバーはアクセルをいっぱいに踏み込み、車体を震わせながら猛スピードで街を駆け抜けた。
たまたま一軒の食堂が開いていたので食事をしたが、少しのミートボールとサラダとパンで120ドル。
店のマダムは言った。
「お金なんてもらっても仕方がないのよ。物で払ってもらいたいくらいなの」
目の当たりにした「マルカレ虐殺」の惨状
そんな状況なので、市場に並べられた商品の品数も少なく、どれも驚くほど高価だったが、それでも人々は店頭に僅かに並べられた艶々としたパプリカに見とれ、チーズに見とれ、まだ触れれば温かそうなパンの匂いに誘惑されていた。
人混みの中に背後の丘から一発の砲弾が撃ち込まれたのだ。そしてその一発の砲弾が一瞬にして68人の命を奪い取った。後に「第一次マルカレの虐殺」といわれるセルビア人勢力による非戦闘地域への砲撃だった。この惨劇を機に、国際社会からセルビア人に対して強い批判が向けられるようになった。