砲撃の直後、現場にやって来たのは救急車ではなく、ただのトラックだった。ブレーキを軋ませて、白い中型トラックが市場の入り口で止まり、運転手があわてて飛び出して荷台を開けた。背中に自動小銃を背負った男たちが、次々と負傷者を荷台に運び上げていく。生きているのか死んでいるのか、見分ける時間もない。あのスカーフの女性も襟首を掴まれ、放り投げるように荷台に乗せられた。

 次々とやって来たトラックは、どれも負傷者を折重ねるように山積みにし、黒煙を撒き散らしながら病院へと走り去っていった。荷台の隙間からは血が滴り、その血の痕がトラックの後にどこまでも続いた。町中には不気味な空襲警報のサイレンが鳴り響いていた。

病院には次々に負傷者が

 丘の中腹にコソヴォ病院はあった。

 古い建物が二棟並び、手前の棟の一階に救急患者を受け入れる緊急処置室があった。5人の医師と10人ほどの看護師が待機していた。次々と負傷者が運ばれて来て、一息つく余裕もないことが、彼らの血で真っ赤に汚れたままの手術着からわかる。

 いきなり、バーンと処置室のドアが開いてストレッチャー代わりのベッドが表に引き出された。二人の医師がベッドを押しながら保護軍の装甲車に向かった。運ばれて来たのは中年女性だった。力なく手をだらんと垂らしたその女性が兵士によってベッドに移された。背中から血が滴り落ちている。たちまちベッドのシーツは血で真っ赤になった。

 現場は一刻を争って緊迫していた。女性を運び込んだベッドが、先程の真っ赤な血が滲み込んだままのシーツで慌ただしく戻って来て、次の負傷者に向かった。

負傷者は次から次へと運び込まれてくる。血がしみ込んだベッドがそのままストレッチャー代わりに使用されていた(写真:橋本 昇)
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 処置室の手術台では、先程運ばれた女性が必死の心臓マッサージを受けていた。大きな声が飛び交い、力を込めて胸を押す度に彼女の全身が激しく揺れた。しかし、心臓の鼓動は戻らなかった。女性の見開いたままの眼が天井を見ていた。

 医師がくたびれ果てたように椅子にぼんやりと座って、壁を見つめていた。看護師は、険しい顔で床の夥しい血溜まりをモップで掃き出していた。