2008年8月7日の午後、グルジア軍は南オセチアの首都ツヒンヴァリに対し軍事行動を起こした。これを受けて、ロシア軍が南オセチアに入り、激しい戦闘が行われた。黒海のロシア海軍はグルジア沿岸を攻撃した。8月8日は北京夏季五輪の開会式であり、時差を考えれば、まさに開会式の日に戦争が始まったのである。
開会式にはプーチンも出席しており、事前に侵攻計画を承認済みだったと思われる。軍事行動を最初に起こしたのはロシア側かグルジア側か不明であるが、アブハジア軍もロシア軍に合流して5日間戦闘が行われた。
その結果、グルジア軍は撤退を余儀なくされ、ロシアは8月26日、南オセチアとアブハジアの独立を承認した。10月には、ロシア軍はグルジアから撤退した。
今回のウクライナ危機は、この2008年のグルジアに似ている。親露派勢力の要請に基づいて軍事侵攻し、独立国として承認するというパターンである。北京五輪(夏と冬)の時期であることも同じである。
クリミア
2014年3月にソチで冬季のオリンピック・パラリンピック大会が開かれたが、閉会式の2日後の18日にロシアはクリミア半島を併合した。その根拠は、住民投票でロシア帰属が決められたことであるが、それまでに周到な準備をして、ウクライナから奪取したのである。
1954年にフルシチョフは、ロシア共和国からウクライナ共和国への「友好の証」としてクリミア半島を割譲する。それは水が不足するクリミア半島に水道管を敷設するために同じウクライナ共和国の管轄にしたほうが地理的に便利だからである。
37年後にソ連邦が崩壊することなど想像だにできなかったフルシチョフにしてみれば、クリミアがどの共和国に属そうと、ソ連邦のメンバーでありさえすれば良かったのである。