そして現在、世界中の視線を一身に集めているウラジーミル・プーチン大統領も日本文化に惹かれた一人と言えます。

レニングラードの過酷な戦闘を生き抜いたプーチンの両親

 プーチンという人物を理解するうえで、私は3つの切り口がカギになると思っています。一つは「シロヴィキ」であるという点です。シロヴィキとは、ロシアの治安・国防関係省庁の職員とそのOBによるグループで、現在のロシア政界の主流派となっています。元KGB(ソ連国家保安委員会)職員で、KGBの後進であるFSB(ロシア連邦保安庁)長官を務めたプーチンは、シロヴィキの頭目です。

 KGBの職員となり、諜報活動に従事したプーチンはカウンターインテリジェント、つまり防諜のエキスパートと言われています。最初の海外勤務地も当時のソ連の勢力圏の東ドイツで、つまりスパイとして相手方の情報を採りに行くというよりは、敵国のスパイによる諜報活動を防ぐという方が得意だったとのことです。

 思えば今回のウクライナの事案も、そもそもはNATOの東方拡大をどうブロックするかというロシア側から見れば守りの行動の結果です。プーチンにしてみれば、本能的に極めて敏感に対応しなければならない事案と言えると思うのです。

 二番目の切り口は「サンクトペテルブルク派」という点です。サンクトペテルブルクとは、かつてレニングラードと呼ばれたロシアの古都で、プーチンの出身地でもあります。プーチンは、レニングラードで生まれ育ち、レニングラード大法学部を卒業した生粋の地元っ子でもあります。

 レニングラードは、第二次大戦中の独ソ戦で激戦の場所です。多くのソ連軍の兵士が亡くなりましたが、一般市民の犠牲者もおびただしいものになりました。ドイツ軍に900日間も包囲されたレニングラードは飢餓状態となり、人々の間で人肉食まで起きたと記録されています。この飢餓で命を落とした市民はゆうに100万人を超えるとも言われています。

 海軍に徴兵され潜水艦乗りになっていたプーチンの父親は独ソ戦で傷痍軍人になりましたし、プーチンの兄はレニングラード包囲戦のさなかに病気で亡くなっています。

 こうした過酷な環境を生き抜いた両親の下で生まれたプーチンは、「血で贖っても国土を守り抜く」といった発想がDNAとして埋め込まれているはずです。だから今回もウクライナのNATO加盟を阻止するためアグレッシブな態度に出ているのではないでしょうか。