「殺す気か」
そして、石原慎太郎と別れ、数寄屋橋で市川房枝と合流したところで、青年グループのリーダーが演説をしている。それが菅直人だった。以下に本文を引用する。
【市川房枝を無理矢理ひっぱり出した青年グループというのは当時マスコミに喧伝されていた。数寄屋橋の袂に仮設した演壇の上で、彼らのリーダーが演説している。
「僕らがですね、再三再四、市川さんの出馬を要望しても、市川さんは紀平悌子という後つぎもできたことであるし、自分も歳だからといって頑として辞退し続けたんです。ところが今年の正月に僕たち市民運動の会で餅つきをしたんです。市川さんも杵を振り上げてペッタンコペッタンコと餅つきをしたんです。それで僕たちは先生があんまり上手に餅をついたんで驚いて、こんなに元気なら引退することはないじゃないかって考えたんです。そして僕たちは市川房枝を勝手に推薦する会というのを作りました。ハンコは僕たちで勝手に作って届けようって相談していました」】
これが1974年の菅直人青年だった。一言一句が克明に記録されていて、いまの菅氏にも通じる口調の特徴がよく捉えられている。
ところが、著者はこの演説を聞いている最中に、支持者のひとりから、こう打ち明けられる。
【「いま喋ってる男の子は菅さんっていうんだけど、市川房枝がどうしても駄目だったら有吉佐和子を勝手に立候補させようって言ってたのよ」】
それを聞いた有吉は、作中でこう語る。
【私は背筋がぞうっとした。それが本当なら危ないところだった。それまで私は新聞で青年グループの存在を知り、親愛の情を寄せていたが、これは気をつけなくてはいけない。彼らに好かれたら私の作家生命が危なくなる。(中略)私は彼らから嫌われる存在にならなければいけない。そう思い決めた。】
時代を代表するベストセラー作家による貴重な菅直人評だった。