2021年1月2日、第97回箱根駅伝・往路1区を走る選手たち(写真:アフロ)

(黒木亮・作家)

 今年の箱根駅伝は、選手層の厚さで群を抜く青山学院と上位10人の1万mの平均タイムが28分24秒という異次元のスピードを誇る駒澤大学(前回優勝)の争いとなり、これに創価、東京国際、早稲田、順天堂あたりが絡んでいきそうな情勢である。

 箱根駅伝は受験生集めに影響するので、今や大学を挙げての総力戦の様相を呈している。その要になるのが監督だ。選手は全員寮に入れられ、朝から晩まで日常生活、身体のケア、食生活などを(講義のために大学のキャンパスにいる時間を除いて)完全に管理されている。青山学院や駒澤大学のように監督の奥さんまで合宿所に住み込んでいる大学もある。一昔前は夏合宿はせいぜい1~2週間だったが、今では2カ月間の夏休みの大半を合宿に使う大学もある。そうした状況下、監督の役割はますます重要性を増している。選手の指導や本番での指揮だけでなく、練習環境や合宿所の整備、推薦入学枠の拡充、陸上競技部のスタッフィング(コーチ、マネージャー、栄養士、トレーナー、鍼灸師等の採用・増員)など多岐にわたる。

原晋~広島出身の陸上界の「突破者」

 青山学院大学の原晋監督は、陸上界の「突破者(とっぱもん)」である。出身は広島県三原市。高校時代は長距離の名門・世羅高校で駅伝の主将を務め、3年生のときに全国高校駅伝で準優勝。大学は中京大学に進学し、一時は酒、パチンコ、女子大生とのコンパを楽しんでいたが、3年生のときに発奮し、全日本インカレの5000mで3位に入賞した。卒業後は中国電力に入社したが、1年目に右足首をひどく捻挫し、きちんとケアをしなかったため他の部位まで故障し、5年目に競技を引退した。一般社員になってからは、セールスマンとして氷蓄熱式空調システムを社内で一番売ったこともある。

2020年1月、第96回箱根駅伝で総合優勝を決めた青山学院大学の原晋監督(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 陸上競技の指導者としての経験はなかったが、青山学院に対して箱根駅伝出場のための選手強化方法についてプレゼンテーションを行い、2004年、37歳のときに3年間の期限付きという背水の陣で、一介のサラリーマンから指導者へと転じた。

 この人は常識にとらわれず、何でも本音で考え、おかしいと思うことは遠慮せず口に出すので、組織内に守ってくれる上位者がいないと、冷や飯を食わされるタイプである。中国電力で氷蓄熱式空調システム営業の社内公募に応募したとき、本店人事部と原氏について電話で話した上司は「これまで相当悪いことしとったんだなあ。全く信頼ないな、おまえ」と言ったそうである。革新をもたらす人物というのは、得てしてこの種のタイプが多い。1970年代から1980年代にかけ、文庫本の大衆化やメディアミックスという販売手法で出版事業のあり方を根本的に変えた角川春樹氏(現・角川春樹事務所会長兼社長)や、ネットフリックスのドラマ『全裸監督』で一躍有名になったアダルトビデオの村西とおる監督なども似たようなタイプだ。原氏は陸上界ではアウトサイダーで、陸連(日本陸上競技連盟)の理事にもなっていない。一時、自民党の党大会にゲスト出演したりしていたので、国会議員になって、落下傘で陸連の会長を狙っているのではないかという憶測も呼んだ。ヤクザ映画『仁義なき戦い』の舞台である広島出身者らしい型破りなエピソードである。

 原氏はサラリーマン当時から、選手と指導者のコミュニケーションがあまりない日本の陸上界の旧態依然としたあり方がおかしいと知人と語り合っていたという。また「自分の大義は陸上界をもっと近代的で魅力あるものにすることだ」と常々言っている。その自分が正しいと思うやり方を青山学院で実践したのである。「青トレ」と呼ばれる体幹を鍛える練習方法、ジョギングでもクロスカントリーコースを走らせる、会社員同様の個人とチームの目標管理と実践など、ビジネスマンとしての経験を取り入れた独自の方法で常勝軍団をつくった。

 原氏の成功は、むろん大学の強力なバックアップがあってのことだ。同氏の求めと実績に応じて、スポーツ推薦枠、奨学金(授業料免除)、強化費、寮、部車、専用トラック(グラウンド)、クロスカントリーコース、コーチ、トレーナーといった条件を整え、さらに2019年4月に原氏を地球社会共生学部の教授にし、雇用を安定的なものにした。