澤木啓祐~大阪出身の「世界のサワキ」

 ただ原氏がつくり上げた独自のメソッドは、順天堂大学陸上部名誉総監督・顧問の澤木啓祐氏の長年の研究と実践あってのことだ。一般の人々にはあまり知られていないが、この半世紀で日本の陸上競技の発展に最も貢献し、最も実績のある指導者は澤木氏である。

2001年1月3日、第77回箱根駅伝で総合優勝を決めた順天堂大学の澤木啓祐監督(当時)。この優勝で順天堂大は、出雲駅伝、全日本大学駅伝と併せて大学三冠を達成した(写真:川窪隆一/アフロスポーツ)

 現在78歳の澤木氏は中学時代から日本長距離界のプリンスで、現役時代は「世界のサワキ」の異名を取った。大阪府吹田市の出身で、進学校の春日丘高校から順天堂大学に進んだ。22歳だった1966年にはロンドンのクリスタルパレスで開催された4大学対抗競技会の5000mで当時世界のトップランナーだったロン・クラーク選手(オーストラリア)、ムハンマド・ガムーディ選手(チュニジア)らを破って日本新記録の13分36秒2で優勝し、その年の世界ランキングで4位に入った。

 1973年から母校順天堂大学の指導者となり、箱根駅伝では55回大会(1979年)から77回大会(2001年)まで指揮をとり、監督として史上最多の9回の優勝を飾っている(2位は中央大学・西内文夫氏と日体大・岡野章氏の各8回)。また順天堂大学の研究者(現在は名誉教授)として、現在に至るまで、世界の最新の手法を始めとする、トレーニング方法を研究、日本に紹介してきた。

 筆者が現役のランナーだった1980年前後、チームとしての栄養管理や体調管理はなく、個々人が自己流でやっていた。当時の早稲田の中村清監督は、好物の焼き芋をむしゃむしゃ食べながら「お前ら、こういう物を食うたらいかんぞ。体重が増えるからな」というくらいだった。今では素人でもやるテーピングやストレッチもなく、筆者はなんとか体重を減らそうと(体重が1キロ増えると、20km走で1分くらい遅くなる)、水を飲まないで練習を続け、脱水症状になって関東インカレを棒に振ったこともある。

 しかし現在は、多くの大学の合宿所に栄養士がおり、練習メニューに応じた献立を作っている(糖質やたんぱく質の摂取、カロリー調整等)。また複数の専属トレーナーや鍼灸師もいる。個々人によって異なる必要な筋肉強化、フォーム改善、ストレッチ、アイシングの方法などをトレーナーが指導したり、定期的に選手の血液検査を行って、健康状態を把握したりもしている。疲労回復を早める高酸素カプセルや、低酸素トレーニングで心肺機能を高める低酸素カプセルを持っている大学も少なくない。

 こうした医科学的手法を本格的に研究し、日本の陸上界に導入したのが澤木氏だ。他の大学が当時の早稲田と似たり寄ったりの状態だった頃、順天堂大学では医学部の力を借りて医科学トレーニングを積極的に取り入れ、箱根駅伝をその実証の場にしていた。毎年トレッドミルで各選手の最大酸素摂取量を計測し、データ化し、富士山の五合目で1週間の高地合宿を行う前後は血液性状を調べ、その直後のニッカンナイター陸上で成果を確かめていた。走力は脚筋力に比例するという考えにもとづき、各選手の脚筋力を定期的に測定し、筋力トレーニングを積極的に行わせ、関節の可動域を大きくするため、クロスカントリーを重視した。