土砂の崩落を防ぐために造られた函嶺洞門(2021年11月撮影)

 1月2日、3日は、箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)を楽しみにしている人も多いと思う。長年のファンなら「山登りの5区」にある「函嶺洞門(かんれいどうもん)」に見覚えや聞き覚えがあるだろう。

 さらに、「コースが変更され、函嶺洞門を通らなくなった」ということもご存じのはずだ。では、なぜそうなったのか?

2014年を最後に通行止めに

 箱根駅伝は、東京・大手町から箱根・芦ノ湖までの約100kmを往路復路それぞれ5区間に分け、10人の選手が2日間で走りぬく。特に、小田原中継所から芦ノ湖までの往路最後の区間(5区)は標高差が864mもある山登りがあり、往路優勝の勝敗を左右する見どころの多い区間だ。

 4区から5区にたすきリレーされる小田原中継所から3.6kmの地点が「函嶺洞門」だ。ここは先頭を走るランナーとの時間差を測るチェックポイントに設定されているため、駅伝中継のアナウンサーがいく度となく「××大学が函嶺洞門を通過・・・」というセリフを繰り返すし、順位や1位とのタイム差がテレビ画面に表示される。

 函嶺洞門は1931年(昭和6年)に造られた落石防護用の洞門(半開放のトンネル)だ。次の写真は、2014年に函嶺洞門を通過する、東洋大学の設楽啓太選手だ。そして、この年以降、選手は函嶺洞門を通らなくなる。

 2014年2月、函嶺洞門が通行止めとなったからである。

2014年、函嶺洞門を走る東洋大の設楽啓太選手(写真:日本スポーツプレス協会/アフロスポーツ)

※本記事に含まれている写真や画像が配信先のサイトで表示されない場合は、こちらでご覧ください。https://jbpress.ismedia.jp/articles/gallery/68299

土砂の崩落を防ぐため昭和6年に建設

 函嶺洞門があるのは東京と大阪を結ぶ国道1号で、箱根湯本から早川に沿って芦ノ湖まで登っていく区間は難所の一つだ。

 古い資料の記録によれば、1923年(大正12年)に発生した関東大震災以後、土砂の崩落が甚だしく交通が極めて危険であると判断され、1931年(昭和6年)にトンネルに似た構造の「洞門」(覆道などとも言う)が造られた。工費は当時の金額にして約11万円。