当時の設計図によるとアーチ形の開放部は15であったが、現在の開放部を数えてみると18ある。工事途中ではマグニチュード7.3の直下型北伊豆地震が発生して新たな崩落などがあったという。このことが影響しているかは定かではないが、何らかの理由で設計が変更され、現在の長さ100.9mの函嶺洞門が完成した。ちなみに、函嶺の「函」は“はこ”とも読む文字で、函嶺は箱根山の別名である。
函嶺洞門は、中国王宮をイメージしてデザインされたらしい。たしかに坑口(洞門の出入り口)のデザインにそれらしい雰囲気が見て取れるが、いまひとつピンとこなかった。調べてみると、日本にある他のロックシェッド(岩石防護用のトンネル類似建造物)では、函嶺洞門のように開放部の上部隅が曲線になっているもの(角R、角丸)はあまり見かけない。中国王宮の建物の柱上部にはこうした角Rのデザインが多用されており、中国王宮のイメージとして採用されたデザインなのだろう。このように函嶺洞門の凝った意匠は、当地がその時代の交通路における重要な場所であったことを示している。
ところが時代が進んで、国道の交通量が増えると、道幅の狭さ(5.8m)が課題となってきた。カーブした洞門内では大型バスのすれ違いが難しく、定常的な渋滞発生の原因となっていたようだ。
さらに2005年(平成17年)には台風によって坑口近くで土砂の崩落が発生するなど、安全面での対策も求められていた。
これらの事情から、函嶺洞門を迂回するバイパスが建設されることになった。函嶺洞門は早川の右岸の山沿いに造られていたが、次の地図のように新しいバイパスは左岸側に迂回する形で2つの小さな新しい橋とともに新設されたのである。