中野氏と話していると、言葉の端々に、物やお金を大切にし、地に足を着けて堅実に生きる価値観を選手たちに教えていることが感じられる。夏に群馬県の万座高原で行う選抜合宿には、中野氏自らが運転するバスで現地に向かうという。独特なのは、合宿メンバーにあと一歩で選ばれなかった数名の選手たちが、毎年、現地の旅館「万座亭」でアルバイトとして約1カ月間、布団の上げ下ろしや食事の配膳をしながら、選抜メンバーとは別メニューで練習することだ。学生であっても、万座亭の制服を着ている限り、客に失礼があれば万座亭の責任になるという緊張感の中で働く。中野氏はアルバイトの選手たちのために、朝4時に起き、雨の中、20キロメートル走を車で伴走したりする。こうしたアルバイト経験者の中から箱根の本番を走れるまで成長する選手たちが何人も出ていることを中野氏は嬉しそうに話す。駒澤大学の大八木監督は、働きながら走り続けることで色々なものをつかんだが、帝京大学の学生たちもまた中野氏の指導で同じ経験を積んでいるのである。

 帝京大学は、前回の箱根駅伝で8位に終わり、今年は出雲駅伝8位、全日本大学駅伝13位と振るわないが、昨年5区で区間賞を獲った細谷翔馬選手ら前回大会出場者5人が残っており、今年も悲願の3位入賞に挑む。

 なお道東の十勝・釧路地方は、指導者もいない道立高校から全国トップ級(インカレ優勝、箱根駅伝区間賞レベル)の選手を数多く輩出してきた不思議な土地である。筆者に近い世代では、小林雄二(白糠高、大東文化大)、竹島克己(浦幌高、順天堂大、現・白鷗大学監督)、大越正禅(浦幌高、駒澤大)、川崎信介(浦幌高、東海大)といった選手たちがいる。

「エリートランナー=名将」にあらず

 原、澤木、大八木、中野氏の4人以外にも、個性豊かな監督が数多くいる。学生時代に10000m28分台という、当時としては相当な力を持ちながら、3回走った箱根駅伝の区間順位は常に2桁だった悔しさを抱える東洋大学の酒井俊幸監督、同じ福島県出身で、学生時代に2回走った箱根駅伝では5区11位、6区8位とそれほどの実績を残してはいないが、コーチから地道に叩き揚げ、指導者として手堅く結果を出してきた早稲田の相楽豊監督、箱根駅伝至上主義は取らず、競技はあくまで教育の一環という指導方針で父兄や高校の先生たちから高い信頼を寄せられる東海大学の両角速監督、日体大のマネージャーとして部を運営した経験を活かし、1997年の大会で神奈川大学を初優勝に導いた同大学の大後栄治監督などである。

 こうして見ると、監督として実績を上げているのは、エリートランナーではなく、走ることが大好きで、地道に競技と指導を続けてきた中堅選手が多いことが分かる。高橋尚子氏や有森裕子氏を育てた小出義雄氏もしかりだ。筆者は、むしろそういう監督たちのほうが人間に陰影や襞があって興味深い。勝敗もさることながら、監督たち個々人のドラマに思いを馳せながら観ると、箱根駅伝も一段と味わい深くなるのではないだろうか。