本番に調子のピークを持ってこられた者が箱根路を制する。写真は2018年1月2日、箱根駅伝スタートシーン(写真:アフロ)

 いまやお正月の風物詩となった「箱根駅伝」。その熱い戦いは一部始終がテレビ中継され、見る者の胸を打つ。だが、熱いドラマは箱根の本番だけではない。最高の舞台に向け、選手たちは一年間、走り込んで地力をつけ、チーム内での競争を勝ち抜き、そして最高のコンディションを整えてきた。テレビには映らないその様子を、前回に引き続き、元箱根ランナーで作家の黒木亮氏が実体験を踏まえて解説する。(JBpress)

(黒木亮:作家)

 今日1月2日、第95回の箱根駅伝の号砲が鳴る。すでに選手たちは各自の持ち場で、走る準備に余念がないはずである。

 当日の調整の一番のポイントは、走り始める5~6時間くらい前には起床して、ウォーミングアップをすることだ。その程度の時間には起きていないと、身体は100%の能力を発揮しない。

捻挫を避けるため摺り足で走る

 大学3年のとき(昭和54年)、私は3区で、午前10時15~20分くらいに襷を受け取る見通しだったので、朝4時半に起きてウォーミングアップをした。寝坊をしないよう、競走部が1年生の「起こし係」をつけてくれ、西武新宿線武蔵関駅のそばの私のアパートに朝の4時にやって来た。

「金山さん(私の本名)、金山さん、起きてますか?」と1年生が部屋のドアをノックするので、「おー、起きてるよ」と返事をし、2人で青梅街道方面に1km強歩き、4kmほどジョグをした。それから着替えて、電車を乗り継ぎ、3区のスタート地点である戸塚中継所に向かった。

 大学4年のときは、前日から小田原の旅館に7区の選手や付き添いの選手たちと宿泊し、朝5時に起きて、ウォーミングアップをした。この日はかなり雨が降っていて、商店街のアーケードの下をゆっくり行ったり来たりしながら身体を動かした。足元は真っ暗で、何かにつまずいて捻挫をしたりすると、最後の最後でレースを棒に振ることになるので、摺り足をするように走った。スポーツは非情なもので、つまらないことで長年の努力が水泡に帰してしまう。このあたりは自分で管理するしかない。

 2007年に、陸上競技生活を綴った自伝小説『冬の喝采』の執筆のため、1月3日未明に小田原を取材したが、真っ暗な中を各大学の選手たちが走っていて、「ああ、今も変わらないなあ」と思わされた。